単独訳書が発売されました

 51iiwcacs0l_sx339_bo1204203200_ 昨年の5月の父の命日から一年以上放置してしまいました。

なんだかブログが悲しい感じで止まってしまっていましたが、あれから大きな動きがあり、昨日、初の単独訳書が発売になりました。
「プリンセスブートキャンプ」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97-M%E3%83%BBA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4434209132
 5月の命日にブログを書いた後、出版社に提出していた試訳が通り、訳者として採用されました。それから、8月25日の締め切りまで一心不乱で取り組んでおりました。きつかった。。。フルタイムの仕事をしているのに、二ヶ月半くらいしかなかったので、半泣き状態でしたが、タイミングが本当に良かった。うちの事務所は夏休みが10日あるので、それに有給を足して(職場の皆様のご厚意でたくさんいただくことができました。ほんとに感謝!)、なんとかやり遂げました。今は、ひとり産休に入って、なかなか思うようにお休みも取れない状態なので、ほんとにあのタイミングでよかったと思います。少し早くても、父のことで大変な時期でしたし……なかなか試訳の話が来なくて、くさっていた時期もありましたが、結果として本当によかった。わたしは、本当に運のいい、ひとに恵まれた人間だと思います。
心から皆さまに感謝です。
まずは、なんといってもお師匠様。なかなか訳書が出ずにくさっていたときにも(もう翻訳やめる!とすねたこともあります)、厳しく、そして暖かく見守りつづけ、何度もチャンスを下さいました。
十数年前、はじめてフェローの教室で渡された訳例を見て、先生の訳文とは知らずに、「なにこのTってひと、めちゃくちゃうまいじゃん!」(Tというのが師匠のサイン)と感動して以来、先生のように訳せるようになりたい、少しでも近付きたいと、頑張ってきました。今回、訳者紹介に何を書こうと悩んでいたら(経験が少なすぎて書くことがない、、、)、名前使ってもいいよーと言っていただいたので、もったいなくも、師匠の名前を使わせていただきました。ものすごく、ありがたいのですが、名翻訳家の誉れ高い師匠に、泥を塗ってないかと心配……。
そして、ゼミの仲間たち。切磋琢磨してきたからこそここまでくることができました。そもそも、この本をリーディングできたのも、有望そうな本だったのに、みんなして、わたしに合うから持っていきなと譲ってくれたからで……。(たぶん、わたし、よだれが垂れそうな顔でこの本を見てたんだろうなー)おかげで、好きな分野で、単独訳書を出すという、幸運なスタートを切ることができました。持つべきものは良い仲間ですね。本当に、本当に感謝です。
そして、家族。
 相方には、締め切りまでご飯とか作れないけど、ごめんね、わたしはあんパンでも食べてるから気にしないで~と言ったのですが、相方は、そんなんじゃ病気になってしまうと言って、毎日、旅館の御膳のような食事を作って(汁もの、煮物、魚、お肉、お野菜、とバランスよく。果物までつけて)、お盆に載せて机に運んで来てくれました。2ヵ月半一日もかかさず。
父のことがあった後で、悪い冗談にしか思えなかったのですが、実は去年の今頃、ガンの検査にひっかかってしまいました。病院から電話があり、ガンの一歩手前になっていると。パニックになりました。わたしを心から心配するであろう、母や妹弟や相方にはとても言えませんでした。言えば、無理をさせてくれないのもわかっていたので。(無理しないと絶対に終わらない日程でしたから。職場のほうには言って、無理するとガンになっちゃうから、有給もっとくれーと要求しちゃいましたが。転んでもただでは起きない(ー_ー)!! 私の一存で許可しますと、追加の有給をくれた次期ボス弁にも感謝!)
 何も知らなかったのに、相方は前に言っていたとおりに(俺がお前をガンにさせない)、わたしの身体を守ろうとしてくれて、母も、何を思ったか急に、生前父が効くと言って飲んでいたキノコの錠剤(アガリクスダケの何十倍も効果があるとかいう)を送ってくれて。お父さんが送ってくれたんだと思って、せっせと飲んでいました。
3ヶ月後の検査で、ガン化を免れていたのも、こうした家族の愛のおかげかもしれませんね。
診断の結果を聞いて、パニックになっていたとき、支えてくれた友人にも感謝! 深呼吸、よく、効きました。
いろんな人への感謝で溢れかえりそうです。
皆さま、本当にありがとうございました。
 

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命日

今日は父の命日でした。

父の写真に買ってきたお花とロールケーキをお供えしました。
ずっとしまってあった写真を出しただけでもうだめ。
父の顔を見ながら当時の日記を読んだらもっとだめでした。
癌に連れていかれたのがほんとうにくやしい。
あー明日まちがいなく目が腫れる。。。
日記なんて書くものじゃないなあ。
この一年半でいろいろなことがわかりました。
泣いたことがわからないように泣く方法や(父の前では泣いたことを悟られないようにしていたので)、胸が痛むという言葉は比喩表現などではなく、本当に悲しいときには、物理的に、刺すように痛むんだってことや、それから、いまの自分は本当に幸せなんだってことも。
ふしぎなことですが、父が亡くなってしばらくして、深い悲しみの中から顔を上げた時、自分がすさまじいほど幸せな状態にいることがわかりました。
ちょうどあの頃「怪物がささやく」を読んでいて、あの主人公の少年の気持ちがピンと来ていなかったのですが、父が亡くなってからよくわかりました。
あたりまえにご飯がのどを通って、おいしく食べることができ、どこも痛くもなく、住む所にも着る物にも困っていない。そして、自分を気にかけてくれる家族がいる。あたりまえのことがすごく幸せ。
幸せは、掴むものでも与えてもらうものでもなく、気づくものだというのはほんとうですね。

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父の育てたバラ。いま庭中、花盛りです。

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子守三昧

年末年始は、自宅では翻訳三昧、実家では子守三昧でした。

妹夫婦が引越しをするということで、母と一緒に二日間子どもたち(5歳と8歳)を預かったんですが、もうたいへん。もともと遊び相手と認識されているので、あそぼー、あそぼーで、片時も離れてくれず、トイレに行こうものなら、「おばちゃまどこー!!」と追いかけてきて、扉をがんがん叩く始末。。いやー、相変わらずモテモテですね。どうも大人として認識されていないようなのが気になるところですが。(父にお線香をあげたときに、甥っ子に、「危ないからおとなのひとといっしょのときじゃないとお線香上げちゃだめだよ」と言い聞かせたら、不思議そうに、「おばちゃま、おとなじゃないじゃん」と言われてしまった。。そうか、子供だと思われてたのか・・・。姪っ子にも、おばちゃまはいっぱい遊んでくれるし、大人じゃないみたいと言われるし。。。。)
でも今回は、パパ、ママがいないので、大人みたいなこともちゃんとしました。
お風呂に入れてあげて、歯を磨いてあげて、おふとんで絵本読んであげて。
わたしが真ん中で、右と左に甥っ子と姪っ子、川の字になって寝ました。
しかしそこからが大変でした。ふたりともお昼に渋滞の車の中で眠りすぎたせいか、なかなか寝付けないみたいで。上の姪っ子はちょっと不思議ちゃんなので、とーとつに、「トトロって何の生物だかわからない」(なんのこっちゃ)と言い出して、怖がってしくしく泣きだすし、怖いのは端っこで寝てるせいもあったみたいなので、場所を代わってあげて、おじいちゃんが守ってくれるから大丈夫だよと言い聞かせて、ようやく寝てくれた・・・と思ってうとうとしてたら、こんどは甥っ子が突然ギャン泣き 何ごとっ!と目を覚まして、きっと甥っ子も怖いのねと思い、また真中のおふとんに戻って声を掛けると、なんか下のほうがぐっちょり。。。おねしょでした。。
着替えさせてお布団を変えてもう一度寝かしつけたけど、その後も時々ガバっと起き出しては「ふえーん、ママ~」と絶叫。ママがいなくて不安だったのね。
いやー、世の中のお父さん、お母さん、心の底から尊敬します。

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年明け

父が亡くなって初めての年明けです。
半年以上が過ぎて、ようやく夢にも元気な姿の父が出てきてくれるようになりました。
(初めのころは、死んでいるか、苦しげな姿ばかりで、しょっちゅう泣きながら目を覚ましていました)
それでもいまだに、何かの拍子に苦しんでいた父の姿がばっと脳裏に蘇って、涙が溢れてしまうことがよくあります。
父は享年75だったのでとりたてて早死にというわけではありませんが、天寿だろうがそうでなかろうが、大事な人が亡くなるというのはこたえるものです。相方は親代わりに育ててくれたおばあちゃんが92歳で亡くなった時、お葬式で天寿だと言われて猛烈に腹が立ったそうです。悲しみの深さと亡くなった年齢はあまり関係がないのかもしれません。90代と聞くと、わたしもつい父と比べてしまってそんなことを口にしてしまいそうですが、たわいのない言葉でも、時に人を傷つけてしまう事があるということを心に深く刻んでおきたいと思います。それだけ悲しむことができたということは、それだけ深く愛することができたということで、幸せな関係を築けていたあかしなのかもしれません。
父が亡くなって以来、ふしぎなことに死ぬのがあまり怖くなくなりました。ただ、ひとりで死ぬのは嫌だと思うようになりました。あの孤独と悲しみと苦しみは、とても一人で乗り越えられそうにありません。
わたしの大事な人にも、ひとりで死んでもらいたくないと、強く思います。
父は酷な病気にかかりましたが、家族全員にあれだけ思われながら逝くことができて、最後としてはとても幸せだったと思います。
また、父が亡くなって以来、終わりを基準に考えるようにもなりました。終わりを基準に考えると優先順位がおのずと決まってきます。わたしが抱えている持病は、比較的よくある病気ではありますが、最近の遺伝子研究によって、癌抑制遺伝子が上手く働かないことが原因で起きているということがわかったそうです。つまり、バリバリがん家系の父方の血筋を思いっきり引いているのを持病が証明しているようなもの。。。卵巣にできているものと考え合わせると、いつ、はい、そこまでー!と、人生を取り上げられてしまうかわかりません。いつ人生を取り上げられても後悔しないような日常を送っていきたいと思うようになりました。特別すごいことを成し遂げられなくてもいいけれど、自分のやりたいことをひとつひとつ丁寧にやっていきたいと思います。取り上げられたときに、ああ、自分の人生を生きられなかったと、自分や周りを責めたりしないように。いい人生だったと満足して手放せるように。

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少し救われたけど

父の誕生日が締切だったあのリーディング、別の方も同時に同じ本のリーディングを依頼されてていたことがわかって、ちょっとショックだったのですが(単なる裏取りで、それほどやる必要もなかったのに、父の誕生日をブッチしてまでやってしまったのかと・・・)、先日話を合わせてみたら、別々の出版社からの依頼だったことがわかり、少しだけ救われた気分になりました。

結果的には私がリーディングしたほうの出版社が出版を決めているので、それなりに役に立ってたのねと思うことはできましたが、、、結局翻訳は別の方に依頼されているわけで、、、。その出版社は、去年わたしがリーディングして、出版が決まった本を出版するはずの版元でもあったりします(それもあり、つながりを大事にしなきゃと思って受けたのですが・・・)。試訳をしてもらうから待っててと言われて、はや1年。今回のリーディングでも別の翻訳者にいってしまってることなど考えてみると、たぶんもう、試訳の話、こないな。知らない間にほかの翻訳者で出てそうな気がする。100ページくらい訳してたんですけどねー。残念。

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使わないならって言われてもねえ

なんだか病気ブログのようになって恐縮ですが、こうやって書いておくことで、ひとりでも多くの同じ病気の方の目に留まり、注意を喚起出来ればと思い、ちょっと書いておくことにしました。
以前もこのブログで書いたことがありますが、わたしは卵巣にチョコレート嚢腫という腫物が出来ています。それがまれに癌化することがあるという話は知っていたのですが、確率も一パーセント未満ということであまり気にしてはいませんでした。
でも、父のことがあって、やはり気になり、いろいろ調べてみたら、年齢がいくにしたがってその確率が飛躍的に上がってくることがわかりました。
30代では1パーセント未満ですが、40代では5%、50代では25%、60代ではなんと、50パーセントくらいが癌化してしまうとか。情報元は病院のホームページだし、そういう追跡調査が行われたという情報はほかにもあったので怪しげなデータではなさそう。
(根拠データらしきものも見つけました 微妙に確率が違うので、まったく別から上がってきたデータかも。表12 年齢別に見た卵巣チョコレート嚢胞の卵巣癌合併率)
30代の1%も少ないように聞こえますが、それでも普通の人が卵巣がんになる確率の12倍。ある論文によると、チョコレート嚢腫は卵巣がんの発現にとって最適な環境なのだそう
長期間このチョコレート状の内容液にさらされると、過剰鉄による酸化ストレスを介して遺伝子のメチル化や損傷が高頻度に起こる。その結果がん抑制遺伝子が失われたり、がん遺伝子が活性化する細胞が出現するのではないかと考えられている。そのため、卵巣チョコレート嚢胞が発生して時間が経てば経つほど卵巣がんの発生リスクが上がるのです」(聖路加病院 百枝医師)
しかも、子宮内膜症の卵巣嚢腫が癌化した場合は抗がん剤などの化学療法が効きにくく、リンパ節に転移しやすい、予後の悪い癌になるとか。
つーか、やばくない?(←コギャル風に。……いやいや、冗談言ってる場合ではなく)
50パーセント以上って…。何の根拠もなく90くらいまで生きるつもりでいたのに。
癌家系(父方は7人兄弟中、5人が癌 内ひとりは卵巣癌)という要素も考えあわせたら、さらに確立上がりそう。
いや断じて、母の目が黒いうちに癌になるわけにはいかん。あんな悲しい目にあったばかりなのに、今度は娘が…なんて。
となると、早い段階でアンジェリーナ・ジョリー的英断を下して、とっちゃったほうがいいのか。
弟は、使わないならとっちゃいなよと気楽に言ってくれちゃってるようですが(使わないっちゃ使わないけどさ)、すでに片方取っちゃってる身としては、もう1個とっちゃうと。。。
相方に冗談交じりで、女じゃなくなっちゃっても(ひげとか生えても)いい?と聞いてみたら、
「いいよ。ハトになんなきゃ」とのこと。
いや、ハトにはなんないけどね。

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樹状細胞療法のこと 

樹状細胞のキーワードでここにたどり着く方に、これは伝えておかなければ。
少し前の記事で、末期患者にとってワクチンを受けにクリニックまで行くのはきつい、なんとかならないかと書きましたが、難しいけれど方法はあるようです。
個人の方のブログですが樹状細胞の在宅注射について書かれています。
http://melanoma-kiroku.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9198.html
樹状細胞療法という保険適用外の診療でも、それを承知で引き受けてくれる往診医がいれば、なんとかなるようなのです。
こちらの方はご苦労して引き受けてくださるお医者さんを見つけられたようですが、うちの場合なら、新米とはいえ身内に医者の弟がいたのだから、東京のクリニックでワクチンを受け取って横浜の入院先まで注射をしに来てもらうことは容易だったはず。
読ませていただいたときは涙がとまりませんでした。
今頃になって気がついて、情けないばかりです。
ちゃんと勉強しておけば、父にあんなに苦しい思いをさせなくてすんだのに。
父はしばらくのあいだ、毎日何キロも散歩するなど、末期患者とは思えないほど元気だったので、わたしはすっかり油断して、急変して入院となった日、翻訳の勉強会などに出ていました。
ずっとそれが胸のつかえになっていましたが、これを知ってまた激しく後悔……(妹は妹で、家さがしに忙しくてそのころ帰れなかったのを後悔しているようですが)
そんな暇があったなら、もっと父のことを考えて、もっと勉強していればよかった。。
急変は突然来ます。もしご家族の方でこれを読まれた方がいらっしゃれば、そのときのために何をしてあげられるか、できるかぎりの手を打ってください。
でないと、ずっと後悔すると思うので。

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サプライズ

先日は自分の誕生日だったので、逆にプレゼントしてみました。

「生んでくれてありがとう」って母に。この半年、本当に苦労をかけたので。
ちょっと値の張るエメラルドの指輪。相方がプレゼントを買ってくれるというのを遠慮し、お金のかかる付き合いを断り、臨時収入も利用して購入しましたが、ネットで買ったので、届いてみたらちょっとイメージが。。。石が大きいので、ためしに自分でつけてみたらなんだかおもちゃみたい。。。 
喜んでもらえるか心配でしたが、わたしにプレゼントをしてくれるつもりでいたところに、逆に思わぬプレゼントで、とってもよろこんでくれました
ああいう、大きめの石は母くらいの歳になったほうが似合うんですね。
わたしがつけるとおもちゃのようなのに、ちゃんと本物に見えました!
「お父さんに一番感謝したいのは、あなたたちみたいな素晴らしい子を三人も授かったことだ」とまで言ってくれました(*^_^*)
誰からもプレゼントはもらわなかったけど、胸がホカホカする幸せな誕生日になりました。母にしてあげたいことはいろいろリストアップしているので、どんどん実行するぞ!
とりあえず、第一弾
サプライズプレゼント大成功!

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とはいえ

とはいえ、樹状細胞療法は父の心の支えになってくれました。亡くなる当日の朝まで、父は次回も治療を受けに行くつもりで、真剣に主治医の話を聞いていました。父は目標をつくってそれに向かって頑張るタイプでした。高価な杖でしたがそのおかげであれほど、凄まじいほどまでに頑張れたのだと思います。

独身時代の私の貯金から出したとはいえ、共同生活を営んでいるのに、ためらいもなく、無駄金になってしまう可能性の高いお金を出すことに同意してくれた相方には感謝しています。実の息子ですらエビデンスのない治療にお金は出さないといっていたのに、次のクールは自分が出すよとまで言ってくれて(結局出さずに済んでしまいましたが)、自分の親のように考えてくれました。相方の両親にも同じようにしてあげたいと思います。
わたしにはまだ4歳の甥っ子と7歳の姪っ子がいるんですが、この甥っ子がなんというかひとの気持ちとか、場の雰囲気と言ったものにとても敏感で、お見舞いに行ったときには、父の病室に入った途端、泣きそうな顔になって、「ここは悲しいね、悲しいところだね」としきりに繰り返していました。お姉ちゃんのほうはいつもどおり、「わーい!おじいちゃん、来たよー」って感じではしゃぎまくってましたが(^_^;)
こういう共感力みたいなものって、生まれつきのものに近いのかもしれません。
相方も似たようなところがあって、父のことで泣いたり笑ったりしている私と一緒になって、泣いたり、笑ったりしてくれました。末期のがん患者は、ふっとよくなる日があるようで、父もやけに元気になった日がありました。この分だと治る気がするなんて言っている父を見て、私もうれしくなって、これなら次の樹状細胞の治療も受けにいけるかもしれないよと相方に話すと、なんだかとてもうれしそうにににこにこしているので、どうしたのかなーと思ったらひとこと。
「おまえが笑ってると、おれ、うれしい!」
・・・・・・ホレテマウヤロ~!!(チャンカワイ風に)
冗談はさておき、
ときどき、こういう共感力の高い人にはほんとにかなわないなーと思います。
友人の話を思い出します。
友人もお母さんが癌で(幸い再発もなく元気でお過ごしです)、ある日手術を受けたそうです。友人はとても優しくて考え深い人ですが、妹さんは、どちらかというと思ったままぱっと感情で動くほう。手術を終えたお母さんの元に駆け寄って、恐かったねー、と言ってなきながらお母さんを抱きしめたそうです。お母さんもいっしょに泣いてしまった。それをみて友人はかなわないなーと思ったとか。
どちらが人間として優しいとかそういう問題ではないのだと思いますが、あいだに頭が入らない分、思いがストレートに相手に届くんですね。

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樹状細胞療法について

樹状細胞のキーワードでこちらにたどりつかれる方がいらっしゃるので、書いておかなければと思います。きっと真剣に情報を求めていらっしゃるばかりだと思いますので、少しでも参考になれば。

結果を言ってしまえば、効きませんでした。
しかし、弟はエビデンスがないから信用できないと言いつつも、一定の効果はあるのではないかと思っていたようです。父の主治医の先生も、決してあやしげな治療ではない、いずれ日本でも認可されるはずだと言っていました。
ただし、とある文献によれば、効くまでに3カ月はかかるのだとか。高い治療なので早めに始めるのは不安だと思いますが、始めるならば早いほうがよいようです。
そして、受けるのなら、なるべく近くのクリニックを選ぶことです。
横浜から東京は遠かった。末期の末期の患者は、移動するだけでもひどくからだに負担がかかります。父の場合、最後のほうはもちろん立ったりもできなかったので、車いすのまま、行きは免許のある妹がワゴン車に乗せて運び、帰りは(妹は子供たちのお迎えがあったので)私が介護タクシーを手配して東京から横浜までつきそいました。車に乗っているだけでも相当苦しそうでした。
最後のほうは、治療を受けに行くたびにあまりに状態が悪化するので(意識不明にも陥りました)、むしろ樹状細胞の治療が命を削ったようにすら見えました。
いくらだって払うから、父の入院する横浜まで注射を打ちにきてくれないかと思ったものです。実際どうにかならないものなのでしょうか。叔母もやはりがんで、免疫療法を受けたそうですが、最後の二回はクリニックまで行くことができず、注射を打ってもらうことができなかったそうです。他の病院では治療行為が行えないとか(保険診療の病院では、保険の適用がない治療が行えないとか)そんな決まりごとがあるのかもしれませんが、ほんとうに、なんとかしてもらいたいものです。
(弟にクリニックの医者を説得させて、こっそり樹状細胞を持ちかえらせて注射してもらおうかとも思ってしまいました。見る間に悪化するので、そんな余裕はとてもありませんでしたが)

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