物心つくころから、見よう見まねで文章を書くようになりました。その習慣は、大人になって仕事につくまで続きました。自分の内側を見つめて奥底から何かを探り出そうとする創作行為は、けっこうな負担になります。仕事を覚えることで一杯一杯だったあのころ、とても文を書く余裕はありませんでした。でも、どんな形でもいいからとにかく文章は書いていたかった。それが、翻訳の勉強を始めたきっかけでした。
先日書いたように、しばらくの間、私は文芸翻訳以外の分野を彷徨っていました。昔から、一番の好物は最後に食べる主義だったんです。迷いもありました。好きなことじゃ食べていけない。好きなことをすることに何故か罪悪感ありました。
大学選びのときもそうでした。一番行きたかった文学部に行かずに、ツブシが利くというだけの理由で法学部を選んでしまった。親の目世間の目を強く意識していたんですね。
大人になって独立して、自分の行く道を堂々と自分で決めてもいいはずなのに、自分の中に、常に厳しく自分を監視する親の目世間の目がある。当の親や世間は、実はそれほど、私を縛っているわけでもないのに。
吹っ切れたのは、卵巣に腫瘍が出来て手術をしたときでした。幸い私は良性でしたが、入院していた病棟には悪性の患者さんも多くいらっしゃいました。皆さん、意外なほど明るくて、まっすぐ強く毎日を生きていました。なんか、自分にうそをついてる場合じゃないなあと思ってしまって。好物後回しにしている場合じゃないぞ、と。
あちこち、いろんな分野をのぞいていたのが、つき物が落ちたように、文芸翻訳一点に意識が定まっていました。
この世界、ものになるのが厳しいのは百も承知ですが、とにかく勉強するプロセス自体が楽しい。これは重要なことだと思います。本を読んだり、映画を見たり、そういった自分の好きなことがすべて肥やしになってくれる世界でもあります。奮闘むなしくモノになれなかったとしても、得るものは大きい。少なくとも私にとっては・・・ですが。
今はとにかく、なによりも、上手くなりたい。びしっと決まった訳文を見ると、羨望のあまり身もだえしてしまう今日この頃です。
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