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一週間の成果

多読宣言をしてから、1週間、進み具合はどうかといいますと
、4/21 25ページ、 4/22 23ページ、4/23 5ページ、4/24・4/25・4/26 0ページ(翻訳クラス課題を訳してました)、4/27 12ページ、4/28 21ページ、4/29 25ページ という感じです。3冊の洋書取り混ぜて読んでいます。

仕事のある日は、時間が取れてもせいぜい2時間程度、なかなか多読するには厳しい状況です。しかし、意外に休みの日も読むページ数が変わらないのがなさけない。つい、だれてしまいますね。
今週はゴールデンウィーク、この倍はいきたいところです。
  

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きのうは翻訳クラスの授業でした

昨日は翻訳通学クラスの日。しかも、当番でした。当番になると、自分の訳文を授業のはじめにクラス全員に配ります。そして、先生がクラスメイトの皆さんと一緒に、一文一文丁寧に訳文を検討してくださいます。ありがたいことではありますが、まさに、サラシモノ状態。
 昨日もたくさん恥をかきました。意味がひとつしかない単語はまずありません。その中で文脈にあわせて適切な訳語を当てていくのですが、ぼーっとしていると、突拍子もない訳語を当ててしまいます。なまじその文だけ単独で見て意味が通ってしまったりすると、よく考えもせずそのままにしてしまうことがよくあります。周りの文と合わせてみるとやっぱりちぐはぐなんですが。そういうときは、自分でも自分の訳文に違和感を感じています。
それなのに、なぜそこで立ち止まれないのか。もっと敏感にならなければいけませんね。

昨日の教訓:①違和感を感じたら立ち止まって考えること②定冠詞、不定冠詞はくせもの(いろんな意味で曲者ですが、昨日の場合は 品詞の見分けをする上で) ③ひねくり回して原文から離れないこと④辞書は上から下までしっかり見ましょう!

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洋書多読宣言

翻訳をするなら、本は、和洋問わずたくさん読んだ方がいい、と言うわけで、去年の1月あたりから、自分の読んだ本の冊数を意識しています。去年一年の間に、和書は50冊程度読んでいました。それに比べて、洋書はせいぜい7、8冊程度(うち大部分が児童書)、と、いささかこころもとない状態です。しかし、これでも私にしては大進歩。その前の年は、洋書は1冊も読み通すことができなかったんですから。和書の方もだいぶ読了数が増えた気がします。やはり、意識してみるって大事ですね。というわけで、更に意識するためにも、自分を追い込むためにも、ここで、洋書多読宣言をしてみることにします。

今年の目標は12冊。ちっとも多読じゃないですが、昨年たてて、実現できなかった目標なのでリベンジの意味を込めて。
1月から読んでいる洋書は4冊。併行で読んでいるので、まだどれも読み終わっていません。うーん、遅いですね。せっかく連休もあるので5月末までには全部読み終わりたいところ。いや、読み終わります。終わるつもりです。終わるといいな…。
しかし、同じ一冊でも、ハリーポッターはどうしてあんなに分厚いのやら。電車で読むことが多いので、持ち歩けない本は困りもんです。

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今まで、会員になった翻訳系団体について

いまはフェローアカデミーの通学部に通って、フェロー主催のアメリアの会員になっていますが、これまではそのほかの団体にも所属していました。

トランスマート
何問かの問題に正解すると会員になれる。会費なし。最初ただ働きで、いくつかジョブをこなし、お客さんからよい評価をもらえれば、まず、Bランクの翻訳者になり、お金をもらって仕事をできるようになる。さらに、いくつか仕事をこなし、よい評価をもらえればAランクへと出世し、レートも高くなる。
Bランクの翻訳者にまではなりましたが、寄せられる仕事量にたいして、翻訳者の数が多すぎるようで、発注がきたと思うと、あっという間に誰かが受注してしまうため、実際にお金をもらう仕事はまだやっていません。短期の仕事が多いので、専業向きだと思います。いちおうまだ会員ですが。


トランネット
会員になると、出版会社からのトライアルに参加できます。会費は10000円、トライアル参加費は3000円くらいでした。オーディション形式で応募者の中から訳者を決めます。トライアルは割合頻繁に寄せられており、実力さえあればデビューのチャンスは多いかも。模範解答も配られるので、教材としても利用価値大でした。
気にいっていたのですが、一回あたりのトライアルの量が、アメリアの定例トライアルの倍以上あり、仕事をしながら、そして、フェローに通いながら参加するのにはきつくなり、やめてしまいました。
 

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裏庭 梨木香歩著

主人公照美の家のそばには、バーンズ屋敷と呼ばれる古びた洋館があり、その裏庭は子どもたちの秘密の遊び場になっていた。照美が遊びに夢中になっている間に、障害のあった双子の弟は、裏庭の池に落ち風邪をこじらせて死んだ。以来裏庭を避けるようになった照美が、再び裏庭へと足を踏み入れたとき、魂の成長への旅が始まった。

本格的ファンタジーであり、しかも主人公の内的成長を、小綺麗にまとめてしまわず、生々しく表現しており、児童文学に留まらない凄みを感じる。餓鬼のシーンや、旅の仲間を斬り殺す場面は、従来の子供向けのお話には、あり得なかった場面だ。子供をおみそあつかいにしない、真剣勝負の児童文学だと思う。作者にはかなり心理学の知識があるとおもわれ、随所にそれを感じさせる箇所がある。この人の本はどれを読んでも、凄い。凄すぎて、言葉少なになってしまうほどだ。

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黒革の手帖  松本清張 著

 主人公元子は、勤めていた銀行の金を使い込みながら、逆にそれを許した銀行のシステムの脆弱性を突き、金を脅し取り、地味な行員から銀座のママに華麗な転身をとげる。銀座の店を足がかりに、さらなる野望を膨らませて、脅迫のねたを黒革の手帖に綴っていく。しかし、欲に目がくらんだ元子には、足元に広がる大きな落とし穴が見えていなかった。読ませる小説。先が気になって一気に読んでしまう。しかし、30年以上前の小説なので感覚的には古くて違和感を覚えてしまうところも多い。34歳の元子を大年増、40歳の男性を初老というのはちょっと…。いや、作品の質には関係ないところですけど…主人公の年に近い私としてはつい引っ掛かってしまいました。

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文芸翻訳を学ぶわけ

 物心つくころから、見よう見まねで文章を書くようになりました。その習慣は、大人になって仕事につくまで続きました。自分の内側を見つめて奥底から何かを探り出そうとする創作行為は、けっこうな負担になります。仕事を覚えることで一杯一杯だったあのころ、とても文を書く余裕はありませんでした。でも、どんな形でもいいからとにかく文章は書いていたかった。それが、翻訳の勉強を始めたきっかけでした。

 先日書いたように、しばらくの間、私は文芸翻訳以外の分野を彷徨っていました。昔から、一番の好物は最後に食べる主義だったんです。迷いもありました。好きなことじゃ食べていけない。好きなことをすることに何故か罪悪感ありました。
 大学選びのときもそうでした。一番行きたかった文学部に行かずに、ツブシが利くというだけの理由で法学部を選んでしまった。親の目世間の目を強く意識していたんですね。
 大人になって独立して、自分の行く道を堂々と自分で決めてもいいはずなのに、自分の中に、常に厳しく自分を監視する親の目世間の目がある。当の親や世間は、実はそれほど、私を縛っているわけでもないのに。

吹っ切れたのは、卵巣に腫瘍が出来て手術をしたときでした。幸い私は良性でしたが、入院していた病棟には悪性の患者さんも多くいらっしゃいました。皆さん、意外なほど明るくて、まっすぐ強く毎日を生きていました。なんか、自分にうそをついてる場合じゃないなあと思ってしまって。好物後回しにしている場合じゃないぞ、と。
あちこち、いろんな分野をのぞいていたのが、つき物が落ちたように、文芸翻訳一点に意識が定まっていました。

この世界、ものになるのが厳しいのは百も承知ですが、とにかく勉強するプロセス自体が楽しい。これは重要なことだと思います。本を読んだり、映画を見たり、そういった自分の好きなことがすべて肥やしになってくれる世界でもあります。奮闘むなしくモノになれなかったとしても、得るものは大きい。少なくとも私にとっては・・・ですが。

今はとにかく、なによりも、上手くなりたい。びしっと決まった訳文を見ると、羨望のあまり身もだえしてしまう今日この頃です。

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子供の目での読書

今も好きですが、子どものころは特に本が大好きでした。日が落ちて辺りが暗くなったのにも気づかないほど、夢中になって本を読んでいました。友達や親戚の家に行くときも本を離さなかったので、いまでもよく親戚からその話をされます。本ばかり読んで子供らしくないと思われていたようです。クラスの友達からもちょっと浮いてたかも。休み時間まで本にかじりついていたわけですから当然です。

 大人になると、あのころのように夢中になって読める本というのはなかなかありません。
というより、子供のころのような本の読み方が、大人になると出来なくなってしまうのかもしれません。子供は本の世界に入り込むことが出来ます。でも、大人になると、あくまで読者です。どこか覚めた目で内容を分析してしまい、その世界にどっぷりと浸かることは出来ません。

 翻訳の勉強を始め、洋書を読むようになって、ちょっと驚く体験をしました。
ある洋書を読んでいて、子供のころとよく似た興奮状態を感じることが出来たんです。
うわあ、たのしいー。読み終わりたくないっていう感じですjね。
洋書読みとして小学生レベルだったのがよかったのでしょうか。
習いたての言葉で本を読むって、案外、子供の目で読むのと近いのかもしれませんね。

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プリズム 貫井徳郎著

若い小学校女性教員が、自宅で死体で発見された。部屋には睡眠薬入りのチョコレート。窓はガラス切りで切られ、侵入の形跡があったため、他殺の疑いが濃い。果たして、犯人は誰なのか?
生徒たち、生徒の父、被害者に横恋慕していた体育教師、学校の同僚、元交際相手など、様々な人間の視点から一つの事件を描いている。被害者には、生徒に慕われる教員の顔のほかにも、実は様々な顔があったことが次第に浮き彫りになっていく。
最終的に犯人を明かさず、読者に判断を委ねるという珍しいタイプの推理小説。犯人明かしで読者を満足させられない分、作者の技量が試されるところだが、果敢にチャレンジしており、十分に成功していると思う。子供がいまひとつ、子供らしく描けていなかったこと意外は◎

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文芸翻訳講座に通学し始めて

 早いもので、通学で文芸翻訳の勉強を始めて2年がすぎようとしています。
 通学をはじめて感じたのは、もっと早くから通学しておけばよかったということです。
 どのくらいまで原文に添って、どのくらいまで原文から離れてもいいのか、そういった、なかなかテキスト化しにくい匙加減のようなものを、肌で感じることが出来たように思います。
 毎回、クラスメート全員の訳文が配られるシステムなので、自分の訳文も当然みんなの目にさらされてしまいます。人前で恥をかくっていうのは、かなり勉強になるもんです。恥ずかしさの余り、強烈に記憶に叩き込まれますから。家に戻り、先生を初め、他の人たちの訳文を見ながら、毎回たらーり、たらーりとあぶら汗を垂らしています。がまの油状態です。ついでに少し、体重も減ってくれるといいんですが。
 

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