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絵が好きな方におすすめ本

なんだか無性に絵が描きたくなって(翻訳の勉強からの逃避行動でしょうか?)、本屋さんで、絵の入門書の棚の辺りをうろうろしていたら、とても楽しい本を見つけました。

「永沢まことのとっておきスケッチ上達術」草思社 

 絵は好きなんだけど、デッサンや模写を描き続けるのはなんとなくつまらない(カルチャースクールのデッサン教室は半年でやめてしまいました)、そんな私にはぴったりの本。とにかく楽しんで描くという事を大事にしている本です。作者の永沢さんは学習院の政治学科出身で、画家としてはちょっと異色の経歴をお持ちです。
ニューヨークで8年間、日々街角でスケッチしながら自分のスタイルを模索しつづけ、「線描き」という方法に行き着いたそうです。永沢さんによれば、線はその人自身を表し、「意思の強さ、弱さ、決断の早さ、遅さ、その時の感情のあり方や体調まで」線に現れる、のだそうです。そして、線が死んでしまわないように、下描きをせずに、いきなりペンで描き出すことを勧めています。
 実際この方の絵には、がちがちの模写のような絵にはない、いきいきとした生命力があり、躍動感にあふれています。で、読んでいるうちにだんだん自分でもやりたくなってきて、絵の具とペンを買いに走ってしまいました。
さっそく描いてみました。下描きをしないって、不安なような気もしていましたが、やりだすと楽しいです。とにかく、単純にたのしい。こういう単純にたのしい事って、もっと大事にしなきゃ、だなあ、などとしみじみ思ってしまいました。Christmas

作品第一号。調子に乗って、ブログに載せてしまいました。 メリークリスマス!!

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出口のない海 横山秀夫著

甲子園で大活躍した野球青年並木は、大学入学後肘を故障し、鶴の舞に例えられるほどの華麗な投球フォームは、見る影もなくなっていた。しかし並木はあきらめなかった。故障した肘でも投げることの出来る強力な魔球を模索して、日々女房役のキャッチャーを相手にピッチングを続けていた。
第二次世界大戦直前の日本。真珠湾攻撃、日米開戦、いっきに時代は戦争の色一色に染め上げられていき、その流れは野球に青春を捧げる青年達をも否応なしに巻き込んでいく。
並木は、魚雷「回天」に乗り込み自ら魚雷の目となって敵の艦隊につっこむ、神風特攻隊の海軍版、回天隊に入隊し、白球を追い求める生活から一転、死と隣り合わせの日々を送るようになる。

これまで読んだ事のある戦争小説と違ったのは、主人公たちが、既に自我も確立した大学生で、軍国教育に洗脳されきってはいないという点だ。昨日まで白球を追っていた、現代の若者達となんら変わらない普通の大学生が、国を疑いながら戦地へと赴き、いきなり敵を殺すよう強制されるのである。
人を殺すこと、殺されること。軍国教育を疑う理性を持ち合わせていた並木は、様々に苦悩するが、戦争を、自分自身との戦いに置き換えることによって、時代に向き合っていく。

戦時下の日本を、どこか遠い異常な世界のように感じていたが、その認識が足元から揺るがされる気持ちがした。ひょっとしたら、横軸だか縦軸だかがほんの一本ずれただけで、今の日本もあのころのようになってしまうのかも知れない。

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前回の反省

1 意訳しすぎ
 前も同じようなことを書いたような…。
浮気がばれそうになった男が、妻や弁護士に責められる場面を想像してぞっとするというシーンで、原文では耳障りな音や映像がぐるぐる回る、というような表現だったのですが、そのまま訳すとくどい感じがして、単に「最悪の場面が頭をよぎる」と、簡略化しすぎてしまいました。「場面」には音も映像も入るからいいかなーなんて。
 慣れてきたせいか、やりすぎてしまうことが多くなってきました。
 
2 原文通りに訳すと、もたついてしまう時は自分で状況を整理して組み替えたり、いったん文を切ったり、語順を変えてみること。
「前の方で、めがねを掛けスポーツコートを身につけた金髪の男が、大きな銀色のスーツケースを12列目の席の上の収納棚に押し込み、15列目の自分の席へと向かうのが目に入った。」ほぼ原文どおりに訳してしまいました。なんだか読みづらい文章です。特に「12列目の席の上の収納棚」のところがくどい、くどすぎます。しかし、どうすればよいのか分からず結局お手上げ。
先生は、さすがです。「前を見ると~の男が12列目席の横に立っていた。」という感じで、男が12列目にいることを説明しておいて一旦文を切り、「収納棚に~を押し込むと15列目の自分の席へ戻っていった」として、「12列目の席の上の収納棚」というような長ったらしい修飾語をつけることなく上手く処理されていました。ちょっとした工夫なんですが、読みやすさがだいぶ違います。

3 語順を原文に合わせた方が良い場合には、後戻り訳をしない。
2とは全く逆のようですが、後ろの文とリンクしている場合は、後戻り訳をして流れを断ち切らないこと。これまた、前にも反省済みですが。縛られすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。原文との距離の取り方は本当に難しい。

4 前と同じ単語(形容詞 副詞などの修飾語)、表現が出てきたら要注意
行列に並んでいる人達を表現してshufflingという言葉が何度も使われていたのですが、注意力が最後まで持続していませんでした。後半に出てきた同じ修飾表現に気づかず、全く別の捉え方をして訳してしまいました。同じ事を指しているのでは?とピンっとこなければいけませんでした。目の前の単語を機械的に訳せばいいというものではありません。


5 ふさわしい言葉どうか
スーツケースが手から滑って落ちる場面で、「手からすり抜ける」としてしてしまいました。すり抜けるという言葉は小さいものをイメージさせるのでNGです。

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前々回と前回の反省

怠慢ですが、前々回と前回の反省をまとめて。

1 仮定法(would have done)「(もし~ならば)~していたでしょう」
  基本的な文法なので理解したつもりでいたのですが、上のような学校英語式の訳をあてはめるだけでは妙なことになってしまう場合もあるんですね。二人の男が同時に別の車で走っていて二人とも同じような不機嫌な表情を浮かべている。その表情について、ある女性だったらwould have recognized だった。という使い方でした。私は学校英語そのままに、「~なら見覚えがあっただろう」としたのですが、問題は、その女性は二人のうち一人とは全くの他人で、あったこともないという点でした。当てはめたはいいのですが、その男性のその表情に見覚えがあったはずはなく、明らかな矛盾。どうしよう?と思いつつ何も出来ませんでした。
授業で先生の説明を聞いてうろこがポロリ。「~していたでしょう」の裏の意味「実際は~しなかった」の部分に着目すればよかったんですね。つまり、その女性は彼らがそういう表情をしていることを「知るすべもなかった」ということ。お勉強になりました。

2 語順に注意
 前にも反省したのにまたやってしまいました。英語の語順にあわせた方が良い場面だったのに、意識が足りず、英文和訳式に後ろから訳し、つながりが悪くなってしまいました。違和感は感じてたんですけど。まだアンテナが弱いみたいです。

3 作者の気持ちになる
  no kids「子どもじゃない」 と書いてあったのに、no kidding「冗談じゃない」の意味で解釈。文脈で子どもが出てくるのは不自然に思えたため無理やり自分の訳したい方に解釈してしまいました。これまた、何度この反省をしていることか。進歩ないなー私も。
不自然に思えても考えてみること。作者と自分は他人。発想が違うのは当たり前。自分本位に訳さず、作者の考え方を理解するよう努めること。
  

4 くどい表現にならないように
  原文どおりに訳すと「携帯電話のvoice mailにメッセージを残す」となる場面で、先生はシンプルに「携帯電話にメッセージを残す」とされていました。私は「携帯電話の留守電に」としてしまいましたが、ちょっとくどいし、そもそも留守電には固定電話のイメージも強いので避けた方が無難。メッセージを残すだけでも十分伝わります。 

 また、列に並んだ主人公が、前の方を見ようとbobb and weaved (体を上下左右に動かすという意味)という場面でも、私は、上下左右の動きをだそうと、「のびあがったり、身をかがめたり、右や左にでたりして」と馬鹿丁寧に、くどくどと訳してしまいましたが、ここでは不要。地の文からも完全に浮き上がってしまいました。早く前を見たいという焦燥感を出すためには「首をのばして」程度で十分。あまりくどくど訳すと、そこに特別な意味があるのかと誤解されます。

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