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前々回の反省

ああ。また前々回の反省になってしまいました。すぐに前回も反省します。

1 時制に注意
 地の文が過去形になっていても、さらにその前のことを(過去完了になっている)回想するシーンがある場合は、訳に注意。回想シーンなのか、今の状況なのか明確に分けるためにきちんと訳し分ける。

2 コントラスト
 but now なんて言葉があったら要注意。過去との対比を描いているので、コントラストをしっかりつけて訳すこと。
3 the second があるなら
 二番目があるなら、直接的に書いていなくてもその文の前に一番目がある。意識はあったが、原文にないことを書くのが怖くなってはずしてしまいました。文の流れを重視して、やるべきときにはやること。

4 moony-eyed couple 夢見心地のカップル?
ちょっと違和感はあったのに。なぜ掘り下げないの?これだけじゃなんで夢見心地だか分かりません。「甘いムード」というふうに具体化するか、ほろ酔いの可能性も考えること。

5 紛らわしい表現はしない。
 頑丈な奥さんを殺そうと計画する夫が、自分は体力もないし奇襲作戦で行くか・・・と計画している場面で、「こっちは華奢なつくりなんだから」というような訳をつけてしまいましたが、よくよく考えればこの夫は太っていました……。体力がないという意味で使っているつもりでしたが、太った人を形容するにはちょっと……。誤解を与えてしまいます。

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キッドナップ・ツアー 角田光代著

小学校5年生のハルは夏休みに入ったある日、数か月前に家を出たおとうさんに誘拐される。普段からそういう冗談をやる人だったので、ふざけているものとばかり思っていたのに、どうやらおとうさんは本気の様子。おかあさん相手になにやら電話で人質解放の条件を交渉しはじめる。
交渉はすれ違いに終わり、その日から二人の逃避行がはじまった。

 久しぶりに会う父娘は互いに何を話して良いかも分からず、旅の始まりはぎくしゃくとぎこちない。父親はどうも頼りなくて、「何でも買ってやるぞ」なんて景気のいい事をいいながら、一つ一つ値段チェックをしたり、行き当たりばったりで段取りも悪く、始終ハルをいらいらさせる。
 だが、なさけなくて身勝手な父親に腹を立てながらも、次第にハルは父との逃避行を楽しむようになっていく。
 おかあさんなら絶対着せてくれない派手なTシャツを着てみたり、空腹で倒れそうになりながら壊れた自転車で山道をのぼったり、お化けが出るというお寺で泊まったり。真夏の何もかもとろけ出しそうな世界の中で、そこだけ時が止まったように静かで涼しいお堂のなか。キャンプ場で拾った穴の開いたテントに横になって二人で見上げた満天の星。
 少女らしい微妙な心の揺れがリアルに描かれている。子どもの視点からみた世界にふさわしく、五感をフルに使った表現となっていて、文に躍動感があり、読んでいてこちらまで子どもに返ることが出来るようだった。
 父親をクソ親父なんてよんでしまう、ちょっと生意気で大人びた少女と、なさけないけど何故か憎めない父親のコンビが楽しい。
 
 子どものころ、もっともっと遊びたいのにいつも夕方がきてしまった。あのころ見上げた夕焼けの切なさにも似た、そんな読後感だった。

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前回の反省点

お当番の次の回はいつもものすごく気が抜けてしまいます。穴だらけでした。反省することが多すぎて書ききれませんがとりあえず、

1 wind up ~ing
 wind up には「やめる 終わる」という意味もありますが、後ろにdoingを取る場合、「~となって終わる。結局~した」になるのを見逃していました。「~するのをやめた」としてしまいましたが、正解は「結局~した」。全く逆の訳になってしまいました。文の流れをよく見れば、違和感を感じたはずなのに。
 
2 もってまわったような表現があっても、文の流れで必要ないところはさらりと訳す。
「食用の豚」と訳せば済むところを、raised for banquet fareに引きずられて、「宴に供するため育てていた豚」などとやたらくどい訳をしてしまいました。辞書の定義が古めかしかったり、不自然な表現の場合もあるので、そのまま使わず文の流れに合わせましょう。

3 簡単そうな言葉、抽象的な言葉ほど怖い。
 romantic latitudes なんのことやらさっぱり分かりませんでした。ロマンチックな緯度???ここでのlatitudeは抽象的な意味。何を言っているのかしっかり理解して、自分の言葉で噛み砕いて訳さないと文章になりません。辞書に定義がなくても緯度を「関係」と捉え直すくらいの柔軟性は翻訳には不可欠。つい逃げてしまいたくなるけどしっかりむきあうこと。

3 裏の意味に置き換えてみて、適切なら、裏から訳す方がいいときもある。
 もっと悲しければよかったのに→裏を返せばあまり悲しくなかったということ。

7 辞書は最後まで見ましょう 
 またやってました。辞書は下の方までチェックしないとだめだってば。

8 変な日本語じゃないか?
 「薬莢の殻」なんて訳を確かめもせずやってしまいました。薬莢自体が殻なのにー。

9 引用符の処理 
  作者がわざわざ引用符をつけている表現にはそれなりの意味があるはず。
 もっと意識して訳すこと。できないなら潔く訳文から括弧をはずすこと。

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波のうえの魔術師 石田衣良著

読み終わった時には、なんだか、妙にタイムリーな読書になってしまっていた。舞台は株式市場。
主人公の青年は大学卒業したての就職浪人。東京の下町、町屋の街でパチンコをしながら無為の日々を送っていたところ、パチンコ屋で不思議な”ジーサン”に声を掛けられる。雑多な町に似つかわしくない品格ある佇まい、底の知れないガラス玉のような感情のない眼。しかも、なぜか、町のヤクザ達にまで一目置かれている様子。
 謎の老人は、自分のもとで働かないかと白戸をスカウトする。仕事の内容は、毎日老人にひとつの質問をすること。そして、新聞の株価欄からある企業の株価を抜き出し、毎日帳面につけるという、特異なものだった。白戸は訳が分からないながらも、老人の元に通い続ける。そして老人との問答を繰り返すうちに、おぼろげながらも経済の世界を識るようになり、帳面を付けていくことで株価の動きを肌で感じるようになっていく。老人の正体は、戦後の荒れた市場を生き抜いた、叩き上げの相場師。老人のねらいは白戸を一人前の相場師へと仕立て上げること、そしてその白戸をパートナーとして、ある銀行に大勝負をかけることだった。やりかたは明らかに違法。風説を流布し株価を操作しその銀行に大ダメージを与えるというもの。株を武器にした壮大な復讐劇。

数字や経済学というと寒気がするくちだが、この作品は楽しめた。さすがに石田衣良さん、無味乾燥な数字の羅列を、活き活きとリズミカルに脈動する人間の営みとして描く。金の動きだけが一人歩きして人間が置き去りになっているような経済小説ではなく、あくまで人間が主体に描かれている。派手なアクションはないが、読後感も爽快で、冒険小説を読んでいるようだった。

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