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前回の反省

下訳が終わってからもう一ヶ月以上がたってしまいました。ちょっと気が抜け始めたかも。この一週間はとくに、ぼうっとしてなかなか勉強が手につかなかったので、かわりに和書ばかり読んでいました(とりあえず、乗らない時は本を読むことにしました)。この一ヶ月で6冊ほど読了。仕事があるとはいえ、読む気になればもっと読めるはずなんですよねー。次回の授業までは2ヶ月近くあくので、洋書も、和書もたっぷり読もうっと。ハリーポッターも買わなきゃ。

前回の授業の反省

1 やりすぎに注意

 原文にとらわれずに訳すことを意識しすぎて、最近やりすぎてしまいます。原文をしっかり捉えてそらしていくのと、最初から、だいたいこんな意味だろうと大雑把に訳すのとでは大違い。基本に戻ろう。

2 イメージづくりは妥協せずに

「一見金持ちで、人当たりもいいが、実は泥棒」というような意味の文章だったんですが、これは、金持ち(プラスイメージ)で、人当たりもよい(プラスイメージ)、だが泥棒(マイナスイメージ)という構造になっています。プラス、マイナスを意識して訳語を当てましたが、もっと明確に対比をつけることを心がけるべきでした。さすが先生は妥協されません。マイナスイメージにも取られかねない「金持ち」という言葉を避け、「羽振りのいい」という言葉を選択されていました。

3 柔らかい言葉で 

 話し言葉は堅苦しくならないように。柔らかめの言葉を選択すること。意識していましたが、まだ堅いようです。大学でのエリートの科白だったので「狡猾に立ち回り」くらいは言わせてもOKかと思ったのですが、会話文の場合は、特殊は職業や、わざとやっているのでない限り、かなり柔らかくしたほうがよいのですね。先生は「悪賢いので」とされていました。

4 しぐさや表情の訳

以前にも反省で書きましたが、しぐさや表情が表わす意味が、日本語と英語で違う場合があります。それほど違和感のない場合は、さらりと直訳して流すのもいいが、あまりに奇妙になるような場合は変えたほうがいいとのお話しでした。"he frashed his big brown eyes" 直訳だと「大きな茶色の瞳が光った」ですが、わたしも、どうして今回の場面で目が光らないといけないのかわからず、「茶色の瞳が揺らいだ」というように少しずらして訳しました。先生は「茶色の目が吊りあがる」と処理されていました。

5 自然に流れていないときは誤訳かも

  A waited,trying hard not to let B feel his own desperation.口ごもる患者Bをまえに、医者Aがじっと次の言葉を待っているシーン。このシーンを常識的、具体的に想像していれば、誤訳は避けられたところでした。わたしの訳は「(医者)Aは、(患者)Bの繊細な神経を刺激しないようにじっと待った」 his own desperationを完全に患者Bのものと勘違い。 desperation=憂鬱 (辞書上の意味しか考えませんでした)、憂鬱=患者という単純な図式を描いてしまったのも原因でした。正しくは「(医者)Aは急く心を抑えて辛抱強く待った」 こちらの方が、流れも明らかに自然です。わたしの訳だと、どういうこと?と一瞬意味を考えてしまいます。周囲から浮いてしまう時は、誤訳かも?と疑った方がよさそうです。

6 カタカナ言葉

 先生はあまり、カタカナ言葉をそのまま使ったりしません。今回はサディスティックという言葉。日本語と英語に意味の差がある場合があるので、安易にカタカナ言葉は使わないこと。

7 単なる言い換えの場合

the trim little man spoke.「こぎれいな小男は口を開いた。」というのが直訳ですが、英語の場合、同じ人物を違う表現で言い換えることがとても多い。馬鹿正直に訳していくと不自然な訳になりかねません。特別訳す必要がない場面では、名前にもどしてもOK.。下訳で散々痛い目をみてきたので、今回はクリアーでした。

8 訳出不可の場合

 文化の違いがあってどうしても自然な形では訳出できない場合もあります。そんなときは訳注をつけるか、訳さずに意味をとって流すか。今回出てきたのはDr. Feelgood 望めば薬を幾らでも処方する医者のことだそうです。アメリカでは一般的に使われている言葉のようですが、訳そうとすると文の中で浮き上がってしまうので、わたしも文脈に合うように変えて流しました。

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緋色の記憶 トマス・H・クック著

翻訳家は鴻巣友季子さんです。先生が「このひとはうまい」と仰っていたので取り寄せて読んでみました。格が違う!読み始めてすっかりおちこんでしまいました。文章に気品が漂っています。しかも、これを訳したときは、いまの私とそう変わらない年齢だったと知って、なおさら立ち直れない気分に。

しかし、読み進めるうちにそんな気分もどこへやら、物語に没頭してしまいました。訳がうまいと、訳者がすっと消えて物語の世界が立ち昇る感じがします。また作品自体がとてもよかった。純文学の香りが濃い、上質のミステリーです。

老弁護士ヘンリーが少年時代を回想する形でストーリーは進んでいく。ヘンリーの通うチャタム校に新任教師が赴任してきたことがすべての始まりだった。閉鎖的な村にやってきた美しく、自由奔放な女教師ミス・チャニングは、その魅力で、堅物の校長(ヘンリーの父)をはじめ、周囲の心をとらえていく。常識に縛られないその言動は、閉鎖的な環境に鬱屈した不満を抱いていたヘンリーにとっても、希望の光となっていく。だが、そんなミス・チャニングの恋が、後に、何十年と語り継がれることとなる悲劇、「チャタム校事件」を引き起こすのである。恋の相手は妻子持ちの同僚リード。ヘンリーは、現実という頚木につながれながらも、自分を貫いて愛を育むふたりを、わが身に重ね合わせてひそかに応援する。

遠い記憶の中に押し込められていた過去の悲劇の真相が、じわじわと解き明かされていきます。「真綿で首を絞められていくような」というとちょっと例えが変かもしれませんが、読んでいるこちらまで追い詰められていくような、なんともいえない不安な気分に陥っていきます。スリリングでした。話の展開は決してスピーディーではないのに、先が気になってページを繰らずにはいられませんでした。登場人物にも厚みがあり、少年のナイフのような感性で刻み込むように描かれた文章が美しかった。好きな作家がまたひとり増えました。そして好きな翻訳家も。原文の美しさを余すところなく再現した訳にただただ圧倒されました。原書とセットで買ったので、この夏は、この本の対訳勉強もしてみようかなと思っています(もちろん、下訳の復習もやったうえで)。

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黄金を抱いて翔べ 高村薫著

銀行の地下室から金塊を盗みだそうとする男達を描いた物語。そういってしまうと単なる犯罪小説のようだが、欲望に駆られて犯罪を犯すというよりは、むしろ自分の生きる道を探して修行でもしているような、どこか禁欲的で求道的な空気が漂う。

背景の描写が精緻で、リアリティがある。いつもながら、とても女性が書いたものとは思えない、甘さをそぎ落とした硬質な文体。(昔、北村薫と混同していて、性別をも逆だと思っていました。北村薫さんのほうは逆にとても男性が書いているとは思えない、柔らかな筆致です)一歩引いたクールな文体で、感情描写等は少ない。それでいてあれだけ雰囲気のある人物を描き出せるのは、やはり文章力の賜物だろうか。

(翻訳の勉強にもなりそう。細かな舞台背景などは軽く流し読みすることが多かったのですが、そういう描写を訳すのが苦手なことに気がついたので、丁寧に読んでみました。)

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授業の復習

前々回は私がお休みしてしまい、前回は先生のお風邪で休講になったので、久しぶりの授業でした。下訳も終わり、休講で時間もあったため、久しぶりに課題に全力投球。想定問答をし、自分なりに対策して訳文を作成。いったん作った訳文をプリントアウトして、一文一文の役割を書き込んでいき、その役割に沿った訳が出来ているかチェックしました。先生に突っ込まれそうな場所はだいぶわかるようになってきましたが、で、どうするか?という、肝心のその先ができていません。まだまだ甘いなー。
今回のお当番さんは新人の方でした。今期からはお二人、新しい方が入られたのですが、どちらも優秀。日本語がこなれています(おひとりの方は、他の先生のクラスから移られてきた方で、私よりも勉強暦が長いようですので、厳密に言えば新人さんではないのかな?)。負けないように頑張らなければー。

1 作者の文が曖昧な時もある。
原文どおりだとわからない場合、ひと言加えるか、削除して調整。

2 言葉遣い
ノワールで、しかも主人公が男性だったら、「女性に不自由していない」と書くより、「女に不自由していない」の方が感じが出る。

3 同じような形容詞が並んでひとつの言葉を修飾しているとき
 単に意味を強めている場合も多い。常に逐語訳するのではなく、場合によって一語にまとめる。"brilliant and succesful guy"私はbrilliant も successfulもだそうと、「華々しい人生の勝者だった」としましたが、先生は二つの形容詞をまとめて、「順風満帆の人生を歩む人物」とされていました。 理解していたつもりでしたが、ついつい、原文に縛られてしまいがち。

4 カタカナ言葉、日本でのイメージは?
今回豪邸のイメージで出てきた「テラスハウス」は日本のイメージでは豪邸というほどでもない。避けた方が無難。

5 要約があって説明が続くとき
 要約している言葉が後ろの説明とあうように。ぴったりの訳語をつける。

6 主語をそろえて読みやすく
 基本中の基本なんですが、視点の事とあわせて考えるとこんがらがってしまいました。(視点の事―「主人公が三人称の場合、三人称と一人称の中間で訳すといい」というお話だったのですが、その、「一人称的な三人称」というものがどうも上手くつかめていません。)
原文どおりに直訳すると「Aは苛立たしげにハンカチをねじっていた。(段落が変わり)Aは持ってきていた本を取り出してB(主人公)に差し出した。Bは本に載っている~の写真を見た」といった感じで、主語がころころと変わり、もたついた印象を与えてしまいます。先生は段落をつなげて、「Aはハンカチをねじっていた。しばらくして持ってきていた本を手にとると、写真が載っているページを開いて差し出した」と言う具合に、「Bが写真を見た」という部分はカットして、一貫してAを主語にして訳されていました。私は「Aはハンカチをねじっていた。(段落を変えて)Aに差し出された本には~の写真が載っていた」という具合に訳しました。違和感を感じ、後半部分の主語を統一したところまではよかったのですが、段落をつなげることまでは思いつきませんでした。主人公Bの視点で通したつもりだったんですが、どうも、私は一人称によりすぎてしまうきらいがあるようです。ここは三人称を保ちつつ、Aを主語にして訳せばよかったようです。
 
7 説明文は現在形に
 説明や、描写をしているところは現在形にしておくと、説明だと言うことがわかるとのことでした。

8 原文のニュアンスを生かす
最近、原文に縛られまいと心がけるあまりに、原文のニュアンスまで削ってしまっていることが多いので注意。"nightmarishly thick red lip "を 自然な訳にしようと、「異様に分厚く赤い唇」としてしまいましたが、ここまでやってしまうと、原文の持っているエキスがぬけてしまいます。ここは、もっと強い訳が必要な箇所でした。 

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時間の使い方

半年の下訳生活で習慣がだいぶ変わりました。仕事を持っていて時間が限られているため、とにかくまず、使える時間を常に意識し、どの時間がどの作業に向いているか考えるようになりました。自分の場合、通勤時間を合わせても、平日に使える時間はせいぜい3時間(目一杯頑張れば4時間)。朝型生活は家の事情で途中で断念、朝、晩一時間半ずつに分けて翻訳に使っていました。頭の回らない夜の時間は、単語表作りや、粗訳といった単純作業や、否応無しに目の覚める、先生のフィードバックのチェックにあて、朝と通勤時間(朝の時間)は推敲に当てました。
せっかく時間を捻出する習慣ができたので、これからもこの時間を有効に使いたいもの。
最近では、出勤前には先生の訳文との比較研究をし、行きの電車では洋書を読み、帰りの電車と、入浴時には和書を読み、夜寝る前には朝読んだ洋書の単語調べをして単語帳に書き込んでいます(デジタル単語帳メモリボです。最近愛用してます)。
ここ半年はアウトプットばかりしていたので、しばらくはインプットに励もうかなと。
アウトプットのほうはまとまった時間がないとなかなか出来ませんが、インプットの方はすき間時間(家から駅までの行き帰りなど)も使えるので、計算してみるとマックスで6時間くらいは、なにかしら翻訳に役に立つことに使えそうです。いまのところ、家から駅までの行き帰りの時間と、帰宅してから食事を作るまでの時間がいまひとつ活用できていないので、行き帰りの時間にはリスニングでもやり、帰宅してから食事を作り始める前までは英語日記でも書こうかとおもっています。
こう書いてみると、いったいいつ家事をやっているんだというかんじですが、基本的に同居人がいるときにやることにしています。その方が家事も手を抜いてませんよというアピールになりますし(笑)。

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アキハバラ@DEEP 石田衣良著

いい本を読むと、なんだかじっとしていられなくなる。意味もなく部屋の中を歩き回ったりしてしまう。この作品もそんな本でした。

舞台は、ハードディスクやマザーボードが路上で叩き売りされる電脳の街、秋葉原。

激しい吃音のため、パソコン画面で会話するページ、女性恐怖症、不潔恐怖症で、常に手袋を重ねづけしているボックス、光の点滅をみると、ところかまわず体が硬直してしまうタイコ。三人は、それぞれ問題を抱えながらも、互いの特技(ページは文章力、思考力、ボックスはデザイン力、タイコは作曲力)を生かし、支えあいながら、ホームページの更新といった小さな仕事を請け負って生きていた。

そんな三人を結びつけたのがネット社会のカウンセラー、ユイだった。ユイのホームページ「ユイのライフガード」は、病んだ若者達を癒し、導いていた。三人は、ユイの引き会わせで、色素欠乏症の天才ハッカー、イズムと、元ひきこもりで法律関係に明るいダルマ、コスプレ喫茶でバイトをする美少女ボクサー、アキラと出会い、新たな会社アキハバラ@DEEPを立ち上げる。

アキハバラ@DEEPのメンバーは、皆どこか病んでいて、社会の不適応者ばかり。女性のアキラを除くと、全員がアキハバラの街にしっくり溶け込む、冴えないオタクくんたちである。そんな彼らが、世界を変える検索エンジン、クルークを生み出し、自分達の誇りを守るため、クルークをつけ狙う巨大なIT企業に挑んでいく。弱きものたちが、巨悪に立ち向かうという定番の構図ながら、その闘い方には、現代の若者を象徴する「楽しむ」という要素がしっかりと盛り込まれている。オタクくんたちが最高にかっこよく見えてくる。胸のすくような冒険活劇である。

昨年あたり(もっとまえか?)、映画化もされていたようですが、いつもながら、この人の美しい文章を本で読まないのはもったいない!と思います。誰にでもわかるやさしい語り口でありながら、物足りなさを感じさせない。メッセージ性がとても高いのに、軽快で説教臭さをまるで感じさせない。文にあわせて散りばめられた比喩の美しさには、いつもうっとりさせられます。鋭い感覚で時代を切り取りながらも、その目はかぎりなく温かい。青臭いっていう人もいるんだろうなとは思いますが、こういう青臭さをなくしたときから人は老けるのではないかと思います。わたしは大好きです。

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