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前回の復習

今回は、流れを読もう、イメージをつかもうとしていたおかげで、気がついたこともあり、先生にほめていただけた箇所もありましたが、逆に、自分でつくったイメージにひっぱられて失敗したところも多かった。意味をとろうと行間を読みすぎ妄想ぎみになっています。原文から離れすぎてはだめ。調整が必要です。止めどころを考えないと。ここが止めどころって、どこかで分かっているのに、それでもやっちゃうのは、自己顕示欲の表れか?

・色をつけすぎない。
 田舎であるというイメージにあわせて、道路の「路肩に砂利が敷かれている」という表現を→路肩は砂利のまま→「路肩は舗装もされていない」と、「二車線」を「二車線しか」とやってしまいましたが、色をつけすぎたようです。やりすぎると妄想訳に。

・自分の持っているイメージは一般的なのか?
「haze のなかからトラックが現れる」というシーン。靄は朝の(しかも少し寒いような)イメージが強く、かげろうはどうしても春のイメージが強くて違和感を感じ、気持ち悪かったけど「揺らぐ大気のなかから」という、ぎこちない訳語を当ててしまいました。(前の段落にでてきた Heat rose in waves ともリンクしているのかと考え、同じ訳語を使って訳したほうがいいのかなと…。)でも、自分が持っているイメージを、ほかの人も持っているとは限りません。思い込まずに冷静に見る眼が必要。

・原文の味わいを消さない。
 空が銀色という原文の表現に違和感を感じてしまい、自分の言葉に直してしまいましたが、これは原文の味、個性のたぐいなので、残したほうがよいところ。  

・必要情報を省かない 
 下訳や授業の反省から学んだ、「自明のことは省略する」という心得にしたがってやったつもりだったのですが、省いていいところと悪いところの区別はつけないといけません。読者への配慮をなくしてはダメ。畑だから平坦なのは当然だろう、蒸発してるんだから乾燥した空気は当然だろうと言う発想で、「平坦」、「乾燥した空気にふれ」という部分をカットしてしまいましたが、思考が飛びすぎで読者に不親切。原文から離れすぎ。一歩前で止めて。

・決めうち不可
 辞書でcropを見ると農作物、穀物とありましたが、匿名の、顔のない農作物・穀物のことを、細々と描写していくことになんだか違和感をかんじてしまいました。そこで、決め打ちしてもいいのかなーと、ここは質問する気分で「麦」と限定して訳してみましたが、やっぱり、だめだったみたい。

・主観によりすぎない 中間を目指す!
 三人称の主人公なので主観に寄りすぎてはだめということはわかっていたはずなのに…。せりふ調におこしたのはやっぱりやりすぎだったか。ほかの登場人物の行動とのバランスが上手く取れなくなって、余計な細工をするはめに。原文から離れてしまいました。(運転手は~の話をしたがっている。→運転手は~の話ばかりしていた)

・強すぎる英語とそうでない場合。 
 swung his legs out and dropped to the shoulder of the road.英語の表現はそのまま訳すと強くなりがちなので、薄めるべき場合がありますが、今回のswing とdropはトラックの高さを表わすために必要な情報だったので、薄めてはだめな場合でした。
 
・キャラクターにあった台詞の口調 
 主人公のキャラを熟考していなかった。大学を出てない、農業に従事している普通の若者なので、もう少しくだけたしゃべりかたでOKでした。初対面に近い人、それも車に乗せてくれた人としゃべるとき、どういう喋り方をするだろう?と考えて、丁寧めにしゃべらせてしまいましたが、一般論ではなく、そのキャラにあわせること。

・自分の作り出したイメージに引きずられない
 田舎道をトラックが走っているイメージにひきずられ、ありもしない干した麦の山を出現させて、トラックをつっこませてしまいました。よくよく考えれば、突っ込んで停まらなければならない理由もなく、理屈にも合わない。思い込まないこと。不自然さが消えないときは誤訳かもと疑うこと。

・深読みしすぎ?
 小さい犬と大きい犬二匹に吠えかかられた主人公が、大きいほうをじっと見てwhether or not it was a threat.と考えるが、尻尾を振っているのを見て、いや、friendlyだ。と思い直すシーン。はじめはitを吠えていることと考え「威嚇しているのか?いや、歓迎しているようだ」という方向で訳していたのですが、二匹とも吠えほえかかっているのに、大きい犬のほうにだけ注目しているところにひっかかり、itを大きい犬のことだと考えて、「(猛犬なのかを砕いて→)噛み付いてくるか?いや、ひとなつこい犬のようだ」という方向で訳しなおしました。うーん、最近流れを読もうと深読み傾向が激しいのかも。まあ、ここはどっちでもそう大差はないところだったのであまり恥ずかしい思いはしないですみましたが。
 
・レアケースにすがりつかない
 小さいほうの犬がstepping on one's feetしながら走りまわっているというシーン、「足を踏みつけながら走り回る」っていう状景にどうしても違和感を感じてしまい、いろいろ調べたら、英辞郎で「感情を害する」という訳語が出ているのを見つけてしまいました。(だれかのブログ情報によると、ロングマンにもそういう定義があるらしいのですが、私はみつけられなかった)しかし、リーダース、ランダムハウス、ジーニアスには全く出ていません。自分の訳したい方向にあう訳語が見つかっても、あまりレアケースのようなら飛びつかないこと。自分の欲求より原文を優先すること。冷静になること。

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鶴岡八幡宮へ

少し遅い初詣にでかけてきました。

Dsc00183_2 鶴岡八幡宮です。鎌倉はやっぱり雰囲気がいい。

樹齢千年を超える大銀杏。葉っぱがなかったのが残念。

Dsc00186Dsc00192あ、 お父さんがちょっと写っちゃった。

Dsc00235 見つけておもわず購入。タイアップしてるのか?

やるなー、鶴岡八幡宮。

Dsc00241葛飾北斎の肉筆浮世絵展もやってました。おもわぬところでいいものを見た。みんなが北斎北斎とさわぐのも無理がない気がしました。構図が大胆で、斬新。ほかの浮世絵画家の作品もたくさん展示されていましたが、やはりひときわ目を引きます。

えっ、そこから見るの?というような視点で描くのがすごい。芭蕉の俳句みたいな感じ。

Dsc00199Dsc00212牡丹展がやっていたのでこれも覗いてみました。

まさに今が見ごろ。

Dsc00226 夜は中華街で食事。

ちょっとした、旅行気分の一日でした。

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違和感感知センサーが

昨日、原文が訳しづらいというだけで、自分の言葉に直してしまうというようなことを書いたけど、それもちょっと違う。いったんは完全に原文寄りの訳を作ってるんだから、出来ないわけじゃないのだ。ただ、できあがった、その原文寄りの訳に、妙に違和感を感じてしまうのだ。わたしの違和感感知センサーはどうやら過剰に働いてしまっているようだ。(そのくせ、肝心なものには反応しないのだけれど)日本の作家と英語圏の作家の描写方法は当然ちがうが、その当然あるべき差異や個性にまで、反応してしまっているような気がする。日本の作家ばかり読んでるのがまずいのだろうか。それとも、(考えるのも怖いが)自分以外の他者の表現、個性はすべて異物とみなし、反応してしまっているのだろうか。とりあえず、このやっかいなセンサーをなんとか調整しなおさないと。

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癖になってる

昨日は、今年初めての授業でした。今度の課題は、テキサスが舞台の物語です。読みはじめてみると「あつーい!いなかー。」という描写が続くので、地球の歩き方などを引っ張り出し、テキサス州のことを調べてみました。8月の最高気温35度!あつそー!(でも、日本の方がひどいか)カウガール博物館に、家畜取引所!いなかー!でも、行ってみたーい。いろいろ調べて、ちょっとした観光気分も味わえました。こういうのも翻訳の醍醐味のひとつ。前回の作品もそうでしたが、その土地の地域性や気候などが、登場人物の気分を象徴していたり、小説全体に漂う香りのようなものを醸し出していたりすることも多いので(下訳した本もそうだった)、舞台となる土地のイメージをつかむのは結構大事なことなんじゃないかなと思います。でも、今回はちょっとイメージにひっぱられ過ぎました。「いなかー」のイメージにひきずられ、ありもしない、干した麦の山を出現させてしまいました。赤っ恥ー。ひとりじゃなかったのがせめてもの救い。

それに、案の定、前回のこども向けアガサクリスティーを引きずってしまいました。だいぶまとめた訳にしてしまった。久しぶりのアウトプットで、妙に気合い入っちゃったのもまずかったなー。下訳の際、原文に縛られて不自然な訳を大量生産してしまった反省から、原文から離れてもいいから、とにかく文脈を読み取り、自分の中で消化しきった、砕けた訳をつけることを意識してやってきました。実験もかねてだいぶやりたい放題やっていたところに、前回のアガサクリスティー、原文離れに拍車がかかってしまいました。そろそろ原文に沿った硬めの訳に戻します。そうしないと、癖になりそう。
次回から、変に手を加えられないくらい、超短時間で訳すことにしようかなあ。でも、砕くべきところはやっぱり砕くべきでしょうし。ベストは、いったん完全に砕いてから、原文寄りに戻してやるという方法なんでしょうが、いったん砕くと、かかった手間が惜しくなるというか、もとに戻すのが悔しいような気分になっちゃうんだよなあ。でも、だめだ。このままじゃ、戻ってこれなくなっちゃう。自分の中で原文を消化して、自分の言葉で説明しなおす方法は、自由度が高くてやりやすい分、危険です。原文がちょっと訳しずらいというだけで、安易にやってしまうようになると、まずい。必要なところだけでやるようにしよう。いったんやってみるのはいいけど、使うべき場合かどうか見極めて、必要ならきちんと原文寄りに戻すように!

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おふだがわり?

少し前になりますが、翻訳クラスの先輩の初訳書を読了しました。初めはクラスへの献本を、くじか何かで勝ち取った別の生徒さんからお借りしていたのですが、なにしろお風呂に持ち込んだりする乱暴な読み方なので、すぐに自分で買いなおしました。それに、自分のお金で買ったほうがご利益もありそうな気がするし。(お札じゃないって?あ、もちろんかえるさんのも買いましたよー。うちの地元みたいな下町の本屋さんにも平積みで置いてありました。しかも、二段。あやかれますように~。パン、パン。(かしわ手))
 遺伝子操作で凶暴化した虎が動物園を逃げ出し、人を次々と襲って、全米を震撼させるというお話だったのですが、こういうパニックものは、何と言ってもスピードが命です。ページを繰る手ももどかしいような、激しいストーリー展開、それをまったく邪魔しない訳は、さすがでした。特に虎が人を襲うシーンの迫力は、絶叫もの。飛ぶような勢いで読んでしまいました。瞬間読速(?なんて言葉があるのか分かりませんが)は自己ベストを記録したのでは?訳がよいからこそですね。今の(、といいたい)わたしじゃとてもこうは訳せません。クラスで誰もが認める「上手い」ひとなので、訳書が出せるのもなっとく。というか、逆に、あそこまでできないと売り物にはならないってことですね。あらためて、厳しい世界だなあ。

でも、この世界、厳しいけれど、とにかくはっきりしているのがいい。初めて授業にでたとき、上手い訳というのが、目に見えて違うのに驚きました。偏差値社会にどっぷり浸かってきたわたしにとって、数値化しなくても実力が目に見えるということが、ほんとうに新鮮でした。他人が作った尺度ではなく、自分の目で判断できる世界。気持ちがいいと思いました。まあ、その分、残酷でもあるんですけどね。自分の実力もある程度わかっちゃう。上手い人がお月様ほど遠くにいるのもわかっちゃう。でもまあ、指をくわえて見つめていてもお月様が降りてきてくれるわけでもなし。たとえ一歩ずつでも進まなければ、いつまでたっても距離は縮まらない。

とりあえず、前へ。

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前言撤回

ぜんぜん、ハーレクイーンじゃなかった。激しく展開中。ジェットコースター状態。

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次回からの課題本

アマゾンで注文していた次回からの課題本が2日ほど前に届いたので読み始めてみました。これは・・・・・・ハーレクイン?裏表紙にはノワールとあるんですが。きっと、これからいっきにノワールになっていくんですね。それにしても、訳すときなんだか照れそうだな。

英語的には易しい部類に入るかんじ。わたしでも、ほとんど辞書をひくことなく読めています。ハリーポッターや、今読んでいるエラゴン(同じく児童書)よりも易しいかも。でもこういうもの程、翻訳力が試されるので緊張します。純粋に日本語の問題になりますからねー。英語を読みきれなくてうまく訳せなかったときより、日本語を上手く操れなかったときの方が、ダメージは大きい(自分的には)。翻訳者失格と言われたような気がしちゃって。

それに、英語が易しいと、すぐ訳し終わった気になってしまったり、逆にひねくりすぎたりするので要注意。

比較的薄い本なので授業までには読んでいけるかも。とりあえずしばらくは、朝の電車読書はこの本できまり。

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下訳料の使い道―カシオの電子辞書XD-GW9600

少し前に下訳料をいただいたのですが、初めて翻訳で稼いだ記念すべきお金、ここは、何か気の利いたものに使いたい、ということで、ここ数カ月あれこれ悩んでました。

指輪でも買って、初心を忘れないよう身につけようかとも思いました。ダイヤモンドなんて、努力の「結晶」っぽくていいんじゃないかと。でも、下訳料で買える「結晶」の大きさはしれているし(下訳から学んだことの大きさを考えると、あんまり小さな結晶に変える気にはなれない)、ここはやはり翻訳に役立つものを、ということで、結局買ったのがこれ。Dsc00177

カシオの電子辞書XD-GW9600です。プロの方々は、電子辞書でちまちまひいたりせず、パソコンでさくっと快適に串刺し検索なのでしょうが、しがない勤め人の私としては、できれば通勤時間も辞書をひきたい。パソコンと違って、ぱっとあけて、すぐにひけるのも魅力です。そういえば、はじめてリーディングしたときも、電子辞書を新調したなあ。あれから3年、値段はたいして変わっていないのに、中身は昔に比べて驚くほど充実しています。

なんといっても、ランダムハウスが入っちゃっているのが凄い。英語系ではそのほかに、リーダーズ、ジーニアス大英和、オックスフォード英英、英和活用大辞典(←個人的にはこれもはずせなかった)、専門用語100万語英和、和英等など、日本語系では、デジタル大辞林、日本語大シソーラス(←そう、これも欲しかった 類語辞典が入っている電子辞書も少ないんです)などなど、これ一台あれば、どこでも翻訳できてしまいます。あとはコンテンツカードで英辞郎を入れてしまえば、こわいものなし。 

テキストファイルを表示できるというのもありがたい。スキャナで読みこんだ原書のテキストファイルを表示させれば、辞書引きもかんたんです。読みながら、ボタンひとつで、この充実した辞書群から意味を調べることができます。難点をあげるとすれば、昔のものよりかさばるので、電車の中で立ったままひくのがきつそうな点と、立ち上がりが少し遅い点でしょうか。

スキャナーに、机に、椅子に、電子辞書にと、この1年で、道具ばかりが充実してきてしまいました。中身も負けないように充実させないとなー。

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ようやく戻ってきました

はー、やっぱり自分のうちが一番。お正月って、行ったり来たりで、仕事しているより疲れるかも。くつろげるはずの自分の実家でも、妹家族が来るということで、掃除、買い出し、食事の用意と立ち回り、その翌日は翌日で妹一家と八景島シーパラダイスへドライブ、めまぐるしい数日間でした。楽しかったけど、普段ひきこもり気味なので、いっきに動き回るとちょっとこたえるわー。

でも、もうすぐ二歳の姪っ子に会えたのはよかった。今一番かわいいときですねー。まだ舌が回らないのでおばさんと言えず、おねーちゃんと呼んでくれます。(けっして強制しているわけではない。言わせようとすると「ばーちゃん」になってしまうらしい。いきなり「ばーちゃん」はちょっと出世しすぎ……)
 八景島の水族館では、色とりどりのお魚が泳ぎまわる水槽の前でぺったりと座りこみ、にこにこしながらいきなり「ハッピーバースデーツーユー」と歌いだしたりして、とってもキュート。花束みたいなお魚さん達をみて、お誕生日を連想したのかな。

 でも、「おねーちゃん、かわいい、おかねちょーだい」と言い出したときはぎょっとしました。妹がお年玉をせしめようと仕込んできたらしいのですが、「お年玉」がどうしても言えず、しょうがないので代わりに「おかね」と教えたんだそうです。でもねー、無垢そのものの笑顔で「おかねちょーだい」はちょっと怖い。教育まちがっとるぞー、妹。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。ほとんどひとり言のようなブログですが(ときどきホントにそんな気分になります。友人に見てるよといわれると逆にびっくりしてしまう・・・)、懲りずに遊びに来ていただければ幸いです。本年もどうぞよろしくお願い致します。

去年は、実際に出版される本の下訳をする機会に恵まれ、(私の中では)ほとんど、コペルニクス的転換といってもいいほど劇的な経験をすることができました。初めて知識の実を口にしたイブのように、一気に視界が広がりました。その衝撃を余すところなく受け止めるだけの力量が、まだ自分にないのが歯痒いところですが、今年はそれを少しずつでも消化して、自分の実にしていきたいと思います。

28日から31日までの四日間は、ほとんど引きこもり状態でした。次回の課題本を休み中に読むという野望は潰えてしまったので(アマゾンに注文したんですが思ったより時間がかかるようで・・・)、ひたすら授業と下訳の復習。先生の訳文と自分の訳文を見比べて問題点を見つけていく作業です。この四日間の一番の収穫は、「主語と視点の据え方」が少し見えてきたこと。だいぶ混乱していたのでじっくり整理することが出来てよかったです。次回から訳文に生かしていけるといいんですが。

31日からは毎年恒例の実家めぐり。今ようやく自分の実家のほうにたどり着き、羽を伸ばしているところです(ついでに父のパソコンでブログも更新)。今日、明日と泊まって4日の夜には自宅に戻るつもり。

移動中は、自作の反省集を読んでいました。じーっとにらめっこしていてうっすら見えてきたことがあります。これには、「自明のことは省略する」「論文調は柔らかく」「抽象的なことは具体化」等など、自分の失敗パターンから見つけ出した、翻訳の心得が細々、46項目くらい書き連ねてあるのですが、もしかしてすべては、「作者が言いたいことを読み取って、読者にわかるように伝える」というひとことで集約できるのではないかしら・・・・・・と。翻訳する上で、ものすごく当たり前のことなんですが(というか、翻訳を別の言葉で言い換えただけ?)、なーんだ、そうだったのかと、なんだか目からウロコが落ちた気分。でも、言うはやすしで、これを実践するのが難しいんですけれどねー。とくに「わかるように伝える」のほう。読みとるのにいっぱいいっぱいで、読者の立場に立ち、読者がわかるように、そして楽しめるように伝えるということが、まだまだ出来ていません。先生の訳文を見ていると、読者への配慮があふれているのを感じます。「翻訳は愛」という言葉の意味が、なんとなくわかってきた気が・・・・・・。

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