« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

前回の反省 詳細

いつもやりすぎてしまうので、直訳調、硬めを心がけてみましたが、完全に裏目に出たかんじ。原文に沿うことと、がちがちの直訳は違う。今まで学んだことをまったく生かさないような訳をしてどうする。やはり自分の感覚を信じて、砕いていくことにしようと思います。ただし、読者への奉仕のためにやるのだということだけは忘れないこと。確信を持って砕くこと。おさえておくべき所はきっちりおさえられるようにしていくこと。それから、逃げの意訳(めんどくさいとか、訳しにくいからという理由では絶対にやらない)はしないこと。

・口語なら伝わるものでも文語ならどうなのか 
細かいところですが、「犬はトラクターより早い」「朝早くから遅くまで働いた」。言っている事はわかるけど文章にするときはもう少し丁寧に。「犬〈の足〉は」「〈夜〉遅くまで」とするべきところ。訳すとき、入れるべきかもという意識はありました。やっぱり入れるべきでした。

・そこから浮かない訳語
 cultivatorをトラクターにつけて畑を耕すというシーン。いけないのかもなーと思いつつ、専門用語を使って「中耕除草機」と訳してしまいました。カタイ!カタすぎる!案の定浮きました。このシーンはあまり重要でもなく、今後も畑のシーンはほとんど登場しません。さらりと流す方がいいところ。一般に使わないような専門用語は、文脈で必要な時以外は使わない。
今度からはやりません。反省。

・辞書にひきずられない
「てのひらにはcallusが出来ている。」
辞書には「タコ」しかのってないからなんていうのは言い訳になりませんよー。手に出来るのは当然「まめ」。相変わらず抜けてるよなー。状況にあう訳を。あぁ、おばかー。

・文の流れを読む
 何度も何度も反省しているのに…。その文だけで考えない 何のための一文か?を常に意識。

"He was doing productive work." 主人公が農場に雇われて、畑仕事に精を出している場面です。productiveの訳が難しいところ。単語自体はやさしいけれど、抽象的で、訳出がむずかしい言葉です。その難しさにばかり気をとられて、完全に近視になっていました。「生産的、有能な働き手 才能がある」などなど、類語辞典を使ったりして、思いつくかぎりの言葉を片っ端から列挙していきましたが、その単語だけ見ていても何も解決しない。わたしは主人公目線になるように、「有能」路線ではなく、「生産性」の方向でとり、生産性の高い仕事→「仕事は順調だった」と訳しました。この訳だと、次の「それは、生き生きした畑を見れば分かる」という文章とは馴染みますが、その次からの「鍬や手で畑を世話するのも厭わない。手に出来たマメも名誉の勲章のようなもの」といった内容の一連の文章とは完全に分離してしまいます。自分でもこの部分がしっくりつながっていないのが気になっていました。あきらかに違和感がありました。ここは、しっかり流れを見ないと訳せないところでした。この部分は、仕事に積極的精を出す、主人公の好青年ぶりを描いているところでした。それをしっかりつかんでいれば、「いやいや仕事をしているわけではない」「仕事はやりがいがある」など、辞書には載っていないけれど、すっきりと流れにはまる訳を思いつくことが出来たはず。これなら、次の文章、その次の文章とも分離しません。

そして、その次の段落でも文の流れを捉えてなかったために、誤訳をやらかしてしまいました。
「~は豚と、鶏と乳牛を飼っていた。They had fresh milk and eggs all the time, something he had never known before.」
they を主人公と農場主と捉えてしまったわたしは「今まで口にしたこともないような新鮮なミルクと卵がいつでも手に入った」と訳してしまいましたが、ここは、主人公が農場でする仕事を列挙している段落でした。その役目をしっかりつかんでいれば、theyは当然家畜ととるべきで、he had never known beforeは主人公が今までやったことがない種類の仕事だったということをあらわしていることが分かります。あくまで、トビーのこなす仕事について述べている場面。食べるほうにとると、完全に流れから浮き上がってしまいます。

・視点主語の統一の仕方

冬休みにつかんだつもりでいたのに、今回もしっかり失敗しています。頭ではわかっているつもりのに、実践できない。でも、痛い目を見たお陰で今度こそ分かった気が。少なくてもつかみかけてはいると思います。よし、次回こそ実践するぞ。 

・「原文に沿う」と「かちんこちんの直訳」を取り違えたところ。多数

意識して原文に沿うよう戻したつもりだったけど、やっぱり砕くべきでした。

不自然な複数形の処理、論文調は避けて柔らかい表現にする、などいろいろきれいな訳にする工夫を学んだはずなのに、「原文に沿う」を意識したとたんにガタガタに。
たぶん、今一番必要なのは自分をしっかり持つこと。例えば、リズムを重視するなら信念を持ってカットできるものはカット。もらさずやりたいなら、文章にする。どうするのか方向性が決まらないと訳が不安定になってしまいます。

下訳ショックでいっきに視界が開けてしまったために、混乱している状態です。足元が完全に崩れている。
焦らず、再構築していこう。きっとこの先には今よりずっと強固になった地盤が待っているはず。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

前回の反省 大雑把に

一昨日は授業でした。三人称の主人公は、どのくらい一人称的に訳すか、いつも迷います。今回の部分は物語の序章で、状況の客観的な説明が多かったので、三人称にちかくしたほうがいいんじゃないかと悩みました。アクションシーンなら迷わず一人称寄りに訳すんですが。
はじめ、主語を徹底的に取って一人称的にやっていたのですが、迷った挙句、少し三人称寄りにもどしました。戻すとどうしても不自然さが出ちゃうんですよね。授業でいざふたを開けてみたら・・・。ああ、かなり一人称的にやっちゃってよかったのね。前日までは先生と似たような距離感の訳だったのにー。前日プリントアウトしたものと差し替えたい!しかし、大事なのはそんなことではなく、最終的にどちらを選択したか、です。
はあぁ、どうしていつも悩んだ挙句にまずいほうを選んじゃうんだろう…。だいぶへこみました。でも、いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。選択肢があることに気がついているだけでもだいぶ進歩さ!それに、いったんはそっちよりに訳すことも出来たんだからあとは選択さえできるようになればいいんじゃん!と自分を慰め……。(それが一番難しいんですが……)。

それより問題は、流れの読み間違え。またやってしまいました。相変わらず森が見えてない。自分の訳だと次の文とのつながりが悪くなるのには気づいていたのに、掘り下げて考えなかった。違和感は感じていたのに拾えなかった。我がセンサーはまったくたよりになりません。

あと、正しさより訳しやすさを選んでしまう傾向があるので、十分に気をつけないと。正しい訳も意識にちゃんとのぼっていたのに、それでも誤った訳を選んでしまったのは、訳しやすさという誘惑に負けてしまったからです。自分の訳したい方へねじまげない。

視点の定め方もだめ。先日の記事で、「少しましになってきたかも」なんて書いたのがはずかしくなります。今回はたっぷり復習しないと。

あとは、かっちり堅めを意識しすぎて、今度は砕くべきところまで直訳調になってしまったこと。原文に沿うとは手を抜くことではありません。かっちりすべきなのはどこなのかをちゃんと見極めて。大胆かつ繊細をめざして。どちらも欠けないように。

詳しい復習は今週末に。今回は復習しがいがありそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

浅草詣で

Dsc00247 昨日は今年初の浅草詣ででした。(2ヶ月に一ぺんくらいは遊びに行きます)お正月でもないのに結構混んでいました。いつも人ごみを避けて裏通りからお参りに行くのですが、今年初ということで、雰囲気を味わうために、仲見世を歩きました。

揚げまんじゅうやさんには行列ができていました。たしかに美味しかったけど、一度食べればもういいかな。

Dsc00253 お参りをして、お守りを買いました。

破魔矢めあてだったのですが、お正月限定なのか、もう売っていませんでした。残念。

おみくじも引きました。

Dsc00255

浅草寺は、凶がよく出ます。(あわれな・・・今年で何回目?)

不安をあおって、お札の売り上げを伸ばそうという、浅草寺の策略 ではないかと睨んでいます。(ちなみに、わたしは吉でした。)

             

        Dsc00261                                                       ちょっと歩くけど、かっぱ橋にもよりました。なべや包丁などの調理器具が特に充実した問屋街です。普通では買えないような業務用のものがたくさん売っているので、見て歩くだけでも楽しい。以前、居酒屋で出てくるような舟盛の舟をみつけて衝動買いしてしまいました。(食器棚の奥深くで眠っています)

                                                                         

Dsc00246

アサヒビールのビル。上に乗っかっている金色の物体は、魂ではなく、泡だそうです。(最初は、どっかの宗教団体のビルかと思った。)

最後に、すし屋通りの「十和田」で天ぷらそばを食べて帰りました。ここのお蕎麦はほんとにおいしい。コシがあって香りがよくて。天ぷらも絶品です。まったく重くない。油で揚げているとは思えないほど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今回の課題本

昨日ようやく読み終わりました。大どんでん返しがあるらしいと聞いていたので、今か今かと待ち構えながら読んでいましたが、これがいつまでたっても出てこない。まさかラストの3頁でくるとは。

そっかー、この主人公、結構あぶないおにいちゃんだったのね。どちらかというとマッチョ系で働き者の、爽やかなおにいちゃんだと思ってたのに・・・。こういうキャラなら、「ずっとあなたが好きだった」で佐野四郎が演じたマザコン夫風に、神経質っぽいしゃべりかたをさせるのも、不気味でおもしろいかも。

タイトルそのものに、嵐のように展開するストーリーで、楽しめました。訳書が楽しみです。ちょとづつ、あぶない感じを滲ませていくのが難しそうだなあ。やりすぎるとネタがばれてしまいそうだし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いただき物

Dsc00244 鵜こっけいのたまご。お客さんからのいただきものです。ダンボールいっぱい送ってきてくれました。事務所では、たまに意外なものをいただきます。生のサンマを発砲でもってこられたときには驚きました。(これもって電車に乗れと?)

なぜ法律事務所にたまごを送ってくるんだー、ここはどこの田舎だー(田舎の弁護士さんはお魚とかお米で報酬をもらうらしいという噂が・・・)と、今回もちょっぴりぶつぶつ言いながら、みんなで分けて持ち帰ったのですが、割ってみてびっくり。黄身が立ってる!この写真よりもさらに数mmは盛り上がってました(しまった。もらった日に写真撮ればよかった!)。

おいしかったー。たまごかけご飯が絶品でした。(わたしは、卵を溶かないでご飯の上で割ってつぶして食べるのが好き。)

調べてみたら、一個500円もするものまであるとか。これでプリン作ったらおいしいんだろうなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

前回の反省 詳細に

今回は誤訳が多かった。たぶん、いつもならやってない間違いも。いつもならもっと砕いている台詞部分もそのまま。
準備できてない状態で授業に出るのは肩身が狭い。復習もちょっとつらい。
でも、途中で提出する羽目になったおかげで、自分の作業工程を意識的に見ることが出来ました。
最初の段階では、誤訳しないよう気をつけて原文に沿った直訳に近い訳をつくるべきだと思うのですが、自分では実践出来ていないようです。この段階で誤訳が多いということは、誤訳の修正は遅い段階でやっているということ。(そういえば、ぎりぎりで誤訳に気づくことが多い気が。そして誤訳はなんとか訂正しても、周辺部分の修正に気をまわす時間がなくなってしまう…)そのわりに、すでに原文から離れすぎてしまうほどいじってある箇所もあったりして、作業のやり方にばらつきがあります。行き当たりばったりというかんじ。
まず森を見てから木を見ていくべきだと頭ではわかっていながら、実際にはできていない。とりあえず日本語にしてから森をみていますが、たぶんその前の、原文の段階から森を見ているべきなのでしょう。遠回りのようだけど、そのほうが初めから訳の方向性も決められて効率もいいし、齟齬も出ない。(日本語にした段階で固まっちゃう部分もありますし。)特に、作品の冒頭部分は、作品全体という、より大きな森を視野にいれていないとまずい。

・一段抜かしはだめ。
 思いがけず自宅の前にひとが立っていたので、女性が驚いて「あら」と声をあげるシーン。すぐ後に、怯えている様子はないと続くので、驚いていることをあまり強調すると合わなくなる感じがして、「驚いて」の部分を丸ごとカットしてしまった。「あら」だけで軽い驚きは伝わるんじゃないかと思ったのですが、先週に引き続きまたしても、思考が一段飛び。読者に不親切。 
 ほかにも、「しぶしぶといった口調でゆっくりと言った」のslow, reluctantをまとめて「不承不承言った」としてしまいましたが、同質の形容詞ではないので、まとめていい場合ではない。そうかなとも思っていたのに、それでもやっちゃったのは、やはり思考の一段飛ばし。「不承不承言う」時って普通ゆっくり喋るよね。と勝手に納得してまとめてしまいました。読者への愛を忘れてはだめね。

・人物の描写
 描写する言葉が並列されているので並べ替え可。見えたであろう順に。これはOKでした。でも、すっきりするので使ってしまいましたが、prettyを「美人」としたのは切り捨てすぎだったかも。

・会話の口調 ですます調か、~だ、である調か? 
 今は雇い主と使用人の関係でも、後に二人の関係は親密になっていきます。それをふまえてどういう話し方をさせるか?
最初から砕いておくか、混在させて減らしていくなど、手はいくつかありますが、最初丁寧にしゃべらせておいて後で急激に変化させるのは難しいというお話しでした。私は最初から砕いておきました。ただ、粗野なしゃべり方だと、親しくなる前の上下感がでないかな(目上の、しかも雇い主に対してえらそうになりすぎるかと)とも思ったので、すこしやわらかく若い男の子風に。でも、実はこの主人公、一筋縄ではいかない人物のようなので(やっぱり最後まで読まないとダメですね)、あんまりかわいくしないほうが良さそう。

・情報をプラス、またはマイナスする
 直訳すると「こんな何もないところでは、ひとを信用しないほうがいい」という文章。このままだとよく分かりません。情報をプラスして、「こんな何もない【さびしい】ところ」というふうにするか、逆にマイナスして「こんなところ」というふうにして、因果関係がきちんとなるようにしたほうがいいとのことでした。(私はプラスして処理しましたが、時間不足でちょっと舌足らず。)こういう手の入れ方はOK、というかむしろ必要。やっぱりポイントは読者への愛か?ほかの箇所でも先生の訳にはそうした配慮が見えました(従業員用の部屋)。

・きちんとリンクするように
 "I suppose we could give it a try."しぶしぶといった調子でそう言って、農場主の女は主人公を雇うことにしたのですが、「しぶしぶといった調子でそう言った」とある以上、台詞はしぶしぶ感が出ていないといけません。わたしは、「そうね、ためしに働いてもらおうかしら」として「そうね」の部分と「かしら」の部分に、ためらいとしぶしぶ感をにじませようとした(つもり…)のですが、たぶん伝わってません。やはり、今回の名訳は「試しに置いてあげてもいいわ」ですね。

・日常会話的にありえない
このあたりから時間切れで全くの直訳。いつもならいくらなんでももう一ひねりはしていたと思うが、Pleased to meet youも中学の教科書状態、「お会いできて光栄です」のまま。現代人の日常会話とは思えない。それにしても最初から「よろしくね」が出てこないようじゃちょっとなあ。

・全体の流れに関わる部分
今回まったくさわれなかった最後の5、6行は、大きな流れと関わってくる重要な部分でした。(なにか重要そうなにおいがしたので、ゆっくり考えようとこの5行だけ後回しにしたのですが、結局さわれず…)
まず、"Yes, ma'am."。 主人公が農場主の女性をそう呼ぶのですが、後にふたりが親しくなった時、「その呼び方はやめて」とその女性が言い、主人公がファーストネームで言い直すシーンが出てきます。なので、ここでどう呼ばせるかが問題になってきます。奥さん、奥様、マダム、いろいろ候補が出てきましたが、「ミセス~」が一番いいという話に落ち着きました。確かに自然だし、後の処理も上手くいきそうです。

もう一点も、大きな流れがわかっていないと訳せない箇所でした。英語は中学生でも分かるほど易しいけれど、流れを無視して訳すとなんだか意味不明な訳になってしまいます。
主人公が、"I'm not looking to get rich"「金持ちになりたいわけじゃない」というと、農場主が"What are you looking for?"「何をもとめているの?」と尋ねるシーン。実はこの主人公、ある目的があってこの農場主に近づいてきたのですが、ここは、その伏線のような感じになっています。農場主にそう尋ねられて、主人公の頭のなかには当然この目的が浮かんでいたはずですが、"I guess I'll know it when I find it."「そのうちわかるよ」というような、ちょっと意味深なことを言って、答えをはぐらかします。先生は、looking forの訳に「目当て」という言葉を使われて、より伏線的な色を濃くされていました。
時間切れで直訳で放置したため、もちろんわたしの訳はぼろぼろ。でも、時間がたっぷりあっても、このつながりに気づき、流れに絡めて上手く訳せたかどうかはかなりあやしい……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

習性

この間の翻訳クラスの飲み会で、クラスメイトが服を褒めてくれました。あんまりストレートに褒めてまくってくれるので(あ、ちなみに女性です)、大いに照れ照れしていたのですが、何故だか懐かしい感じが・・・。そう、○○学園出身のみなさんはお分かりですね。これは、女子校出身者の習性。きっと彼女も女子校出。

○○学園の友人と会うと、いつもお互いにほめ合っています。その服かわいいねとか、細いからこういうの似合うねーとか、髪の色きれいだねとか、センスいいねとか、さまざまな褒め言葉が飛び交います。でも別に、相手に媚びようとか、そういう下心があるわけではありません。(20年以上の付き合いだし、女同士だし、なんの利害関係もない)ただ思ったことをストレートに出しているだけ。しかし、世間ではそういう風習はあまりないようで、いつだったか、いつもの調子で同僚相手にやっちゃったら、軽く引かれました。(「やめようよー、お互いにほめ合うの。むなしくなるから」と笑いながら言われました。「え、そうかなあ?」と軽くカルチャーショック)

それ以来、ソトではなんとなくやらなくなっていましたが、やっぱり、ひとは褒められるとうれしいもんですよね。(少なくとも悪い気はしないはず)あらためて実感しました。わたしも、遠慮せずどんどんやることにしようっと。でも、異性相手にやるのはなかなかむずかしそう。私が職場で急に「先生、今日のネクタイ素敵ですね」とか言い出したら、気味悪がられるんだろうなあ。なんか悪いものに当たったと思われるのがオチだな。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

今回の反省 とりあえず大雑把に

今回は、先週の鶴岡八幡宮と今週のお葬式で、案の定時間不足に。ラスト三行くらいはお葬式後にでも仕上げられると思って残していたら、目も開けていられないほど疲労してしまい、まるで触っていない状態で提出するはめに。仕上がっていない自分の訳ほど恥ずかしいものはないです。(しかも、大事なところだった…)やっぱり出来ることは後回しにしないことですね。いい教訓になりました。それにしても、体力がないせいかすぐ疲れてしまうのが困りもの。運動嫌いのつけが回ってきてるなー。やっぱりビリー再入隊か?

見直しできなかったので、簡単なはずの原文なのに、誤訳もちょこちょこ。大きく引いてみる作業も出来てないし、いつもだったらもっと砕いてるところもそのまま。

でも、変に手をかける時間がなかったのが吉と出たところもありました。そうか、このくらいで止めておけばいいのか。もっと素直でもいいくらい。まだ、触りすぎの気があります(どうでもいいところで)。あとは、冬休みしつこくやったせいか、視点の定め方が少しまともになってきたような・・・(気がしないでもないでもないでもない)

詳しい反省はまた今週末。

この課題、やっぱり全部読んでおかないと訳し方が定まらないようです。残り、三連休で読んでしまおう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こわい話

昨日、職場の同僚が、ならっているテニスの話をしてくれました。同僚のクラスの生徒さんたちは、まだ腕は未熟だけれど熱意だけはあるという段階で、いい球が来ると、「キタ━(゚∀゚)━!」とばかり、喜び勇んで突進するんだそうです。でも、それは、上のクラスの人からみると、「なぜそこで突進する?」ってとこなんだとか。見当違いのところでがんばっちゃう初心者達の姿を想像して、おもわず笑ってしまったけど、なんだか聞いているうちに胸が苦しくなってくきてしまった。
これってまさに今の私なのでは?いけそうなところがあると「ここよ!私の見せ場は!」ってなかんじで突進してしまう。上手い人からみたら、なぜそこでそれをやる?っていう感じなんだろうなあ。恥ずかしい…。
先日、原文に違和感を感じてしまうと書いたけど、それは、たぶん、相手(原文)のいいたい事を理解しようという謙虚な姿勢が足りないからなのでしょう。理解しようとする前に、自分を出そうと突進してしまってるんだと思います。
それにしてもよい話を聞きました。肝に銘じておこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コメント

先生の訳書のインタビュー記事に生徒からもコメントをよせることになりました。一週間いじりまわしてようやく今朝提出。こんな短いコメントにどんだけ時間をかけてるんだ、私は。今週末はお葬式で、課題にかける時間もないというのにー。でも、いったん記事が出てしまったらもう訂正できないと思うとつい力が入ってしまって。(この程度のコメントでさえこうなのですから、訳書を出す方のプレッシャーはいかばかりか?)
授業の魅力を余すところなく伝えたいところでしたが、私の文章力では限界がありました。とりあえずちゃんと意味の通る文章になっているかだけが心配。(いじりすぎてなんだかよく分からなくなってしまった。)まあ、少なくとも、にぎやかしにくらいはなってくれることでしょう。
そういえば、今回のことで、はじめてワードに文字カウント機能があるのを知りました。これは便利(ワード歴十数年にしてはじめて知ってしまった。仕事じゃ使わないもんなあ)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »