今回は、砕きすぎ。前回は硬すぎでしたから、毎回毎回やじろべえのように右端から左端へと大きく揺れております。でも、きちんと自分の訳と先生の訳、そして原文に向き合っていけば、その揺れ幅も少しずつ少なくなっていくのではないかと思って前向きに頑張ります。台詞はとくに原文から離れてしまっていますが、今回会話についてはあえて冒険したつもりなので、先生と違っていても落ち込まないことにします。でも、成功はしてないなー。
たっぷり時間があったおかげでいじりすぎてはしまいましたが、新しい試みも出来ました。訳文を作るときに、自分で問題点を感じる箇所にマークをつけていく方法です。今までは、ワードで赤く反転させたり、色ペンで色分けしたりしていたのですが、ワードの反転では何が問題なのか分かりづらいし、色ペンはペンを持ち変えるのがめんどくさい。「違和感マーク」、「舌足らずマーク」、「やりすぎ?マーク」など、思いつくかぎりのマークを作ってみました。原稿はかなりにぎやかになりましたが、マークだと印をつけるときに楽だし、ひと目でわかるのでチェックもしやすく、ひとつひとつ潰していけば取りこぼしもなくなりそうです。「やりすぎ?マーク」は今回あんまり役に立たなかったみたいだけど…。でも、あとから、ああ、やっぱりやりすぎだったのねーとチェックできるし、復習にも役立ちそう。改良を加えながら、しばらく試してみることにします。
・エッセンスまで抜いてしまわない
違和感を取り除こうとして原文のエッセンスまで抜いてしまう傾向があるので気をつける。(スパイシーな香りをいい匂いでかたづけてしまったり)
・ほとんど無意識に一段飛ばししているところがある
これは勉強したてのころはなかったこと。これってつまりこういうことだよねと自分で解釈してしまって、最初の原文寄りの正確な訳の段階をすっとばして、いきなり次の段階に飛んでしまっている。「風が砂ぼこりを舞いあげている」という文章を、いきなり、自分でまとめて「つむじ風」にしてしまったり、雲が北から西へ拡がり、空に低く垂れ込めるという情景を、「北から西へ徐々に拡がっていく(ほぼイコール)低く垂れ込める」と勝手に解釈してカットしてしまったり(冷静に考えればまったくかぶっていない)、過程を省略して結果で訳してしまったり。 とにかく丁寧に状況を想像すれば、何をやっちゃいけないかわかるはず。作者を無視しない。
・動作と状態
雇い主に食事に招待され、主人公が、離れの自室を出るのですが、その後に、回想シーンなのか、自室のシャワーで身支度を整える描写が続いていました。「動作」で訳すと、時間が溯ってしまうような奇妙な訳に。わたしは、「シャワーで汚れを流し、服はあたらしいものに着替えてきた。」というように、過去の動作として訳し、矛盾を解消したつもりでいたのですが、そのために、なるべくやりたくなかった語順替えをしてしまいました。(本当は「シャワーで汚れを流し」、と、「服を替えてきた」の間は、「髪はまだ濡れている」という現在の描写が入ります。)この部分はすべて「状態」として訳すとうまく行くというお話でした。それも頭にあったのですが、次の「動作」の文章とうまくつながらないのが気になったのと、「(ぼくが今着ている)服は~のジーンズと~色のシャツ。」と訳すことに何故か違和感を感じてしまってやめてしまいました。違和感を感じた理由をよくよく突き詰めてみると、自分の着てきた服のことを細かく報告するような男の人が、なんか軟派でいや、という、単なる自分の好みの問題でした。(文章に対する好みでもなく、男性の好みだったところがますます間抜け)でも、意外とそういう個人的な好みを、正しい(?)違和感と勘違いしてしまっていることがときどきある気がします。今回それを自覚できてよかったです。混同しないようにしないと。
次の「動作」の文章との断絶感については、段落を変えることで解消する手があるとのお話しでした。そっか、そういう手があるのですね。考えもしませんでした。
・今回の視点、目線 寝かせてみるといいかも
毎回悩みの種の視点。今回は割合まともにすえることが出来たと思うけれど、主人公の視点に立ちすぎたきらいはあります。たとえば、
雇い主が、木の扉と網戸の二重扉になっている裏口の戸を開けて、主人公を招き入れるシーン。素直に、「~は木の扉をあけ、網戸をひいた」とすればよかったところなのですが、木の扉が内側で、外側が網戸だから、木の扉が開かないと、雇い主の顔は見えないよねーと考え、「木の扉が開き、~(雇い主)は網戸をあけた」という感じで、木の扉が開いたところで初めて、雇い主を主語に立てるようにしてみました。うーん、ここは、文の大筋にはまるで影響しない瑣末な部分、いれるならもっとほかに力をいれるべきところがたくさんあった気が。それに、一文に主語が二つ(扉と雇い主)になってしまったので流れがスムーズではなくなってしまったかも。
もうひとつは、「部屋のエアコンから冷たい空気が吹きだしている」という描写。これも、最初は素直にそうやっていましたが、自分は部屋のなかにいるんだから、自分を中心に据えて「空気は流れこんでいる」とやったほうがいいかしら?などと考え、書き換えてしまった。今読んでみるとやっぱりへんです。エアコンが熱い空気を冷やして出しているはずなのに、なんだか外の涼しい空気が(熱いのに)自然になかに流れ込んでいるような感じになっちゃってる。時間をおいて見てみるとよくわかります。視点、主語の問題は、寝かせて他人の目になって読むと分かりやすいかもしれない。自分が見当違いの配慮をしていないか注意。
・全体を頭に置きながら、部分を訳す
もっと、大きな視点でとらえるようにしないと。こりもせず毎回同じ反省してるなあ。どうしてこの段落が存在するのか、その段落が言いたいことを読もうとするようにはなったけれど、読み違えています。
雇い主に夕食に招かれた主人公、部屋に入ると、テーブルに食事が用意されているという場面。外は嵐(になりかけていた)だったので、対比なのかなと思い、一生懸命部屋の中の居心地の良さを強調していました。そっちに向けて色付けしていたので、描写もすべてプラス方向へ訳していましたが、舞台の土地柄や、この家が農場だということなど、全体の設定を頭に入れたまま訳すなら、「もてなしはもてなしだけれど、質素なもてなし」という方向へ訳せたはず。その場だけで読もうとしない。調べ物が甘かったのも読み違えた原因でした。イメージ検索など労を厭わずきちんとすること。
・しばらく繰り返してもいいことにする。
前文に出てきた言葉などを繰り返さないように気をつけるあまり、不自然になっている箇所がところどころあります。意識しすぎないことにしよう。わたしの場合繰り返してもいいと考えるくらいでちょうどいいかも。
・訳したい方向へねじまげない
雇い主の女性が、主人公に笑いかけられて顔を赤らめるシーン。わたしは彼女が顔を赤らめた原因が主人公の笑顔だけではなく、その前の台詞にあるのかとおもい、主人公の台詞をすべて、彼女を喜ばせるような台詞として訳してしまったのですが、ここは作者がキャラクターをどう見せたいのかということをしっかり踏まえて訳さなければならないところでした。わたしの訳だと主人公は彼女を口説きにかかっている感じになり、作者の意図する、無垢な好青年という(少なくともこの段階ではそうみせたいはず)キャラクター像とずれてしまいます。細かいところを丁寧に訳していれば、どうしても彼女を喜ばせる台詞とはとれないところがあるのに気が付いたはず(「木も草もある」はどう見ても誉め言葉じゃない)。ちらっとはかすめたんだよな、違和感。はあぁ。この、ちらっとかすめるやつをどうやって捕まえればいいのか。つい、自分の好きな方向へ訳したいという欲にまけてしまいました。
最近のコメント