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わたしを離さないで カズオ・イシグロ著

美しく哀しい、繊細な物語だった。こうしたテーマで小説を書けば、どうしたってどぎつい色が出てしまいそうなものなのに、水彩画のような静かな世界が淡々と広がっていく。ずっと雪景色だったような印象すらある。あらゆる音が吸い取られた、しんと静まり返った世界。保護官とは・・・介護人とは何なのか、次々と明らかにされる驚愕の真実も、その世界を崩すことはない。
主人公の心の機微が丁寧に描き出されている。一人の人間が想像のうえで創り出した人物だとはとても思えない、リアルな存在感。その繊細な描写は、繊細であればあるほど、主人公の生まれや、運命、存在そのものの哀しさをいっそう際だたせている。
読後感は哀しみが心の底の方を静かに流れているような感じ。胸を締め付けられるような哀しみではない。不快さもない。ただ静かにそこに存在する哀しみ。
とてもいい本を読んだ後は、しばらく何も入れたくなくなる。次に読む本の選択が難しい。

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うちのポメラは室内犬?

ポメラを買いました。犬みたいな名前ですが犬ではありません。簡単にいえば、すごくちっちゃいワープロです。ネットで知ってひとめぼれ。ほんの一瞬だけ、沸き上がる物欲に耐えていましたが、でも、わたしに、耐えられるはずがなかったんです。20代のピチピチギャル(死語)のころから、おじさんたちのはまるザウルスにはまり、新旧あわせて3台も購入、さらに、懐かしのジョルナダも愛用していたわたしには。そう、わたしは、キーボードがついたちっちゃいやつにとても弱い。
このポメラちゃんは、本体が文庫本サイズなのに開くとノートパソコン並のキーボードが広がる仕組みになっています。小さいので机も広く使える。対訳の勉強をするときには原書と訳書を書見台にたてて並べ、さらにパソコンも置いてやっていたので、結構きゅうくつでした。本来は、会議でメモを取るサラリーマン向けに作られたらしい。文章を打つ以外は何もできません。その点では、ザウルスや、ジョルナダにも劣ります。でも、そこがいい。翻訳の勉強に重宝しています。文を打つしかないので集中できる。使ってみると、自分がいかに気が散っていたかがわかりました。静けさを取り戻した感じ。粗訳を作る段階で使うとかなりスピードがあがります。訳す際に外の情報に頼りがちなので、自分のなかから出してくる訓練にもききそう。それに、2秒で文章を打ち始めることができるのは思っていた以上に快適です。やりたい瞬間に、勉強を始めることができる。
ただ、画面はちっちゃいなー。今はいいけどもっと年齢があがったらきついかも。携帯用なのでしょうがないんだろうけど、最初から持ち歩くつもりはあまりなかったので、(持ち歩かなくなるのは経験上よくわかってます)もっと大きい方がよかったなー。あ、でも、それだったらふつうのワープロ専用機か。

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前回の反省

自分では意識して原文に沿って堅めに訳しているつもりなのですが、肝心なところで、すぽーんとやってしまったり、砕いていいところを抑えてしまったり。まだまだ、バランスをうまくとれていない。でも、語順などの配慮が成功しているところもありました。大事なのはしっかり、意識しながら訳すこと。成功、失敗の経験を次に生かすこと。それができるようになれば、迷う時間は少なくなるのではないかと思います。

それから、ほかの生徒さんの上手な訳を見ると落ち込むので(もちろん先生の訳はしっかり読んで復習させていただいています)、あまり読み込まないようにしていましたが、やっぱり、吸収すべきところは吸収すべきだなあと改めて実感。これからは、胸が痛んでも、我慢して、大いに学ばせていただくことにします。

・文章が長いとき
いったん切るべきか、長くても一文で続けるべきか、悩むところだが、いろんな手があることは、つねに意識しておく。

・やっぱり、主語が変わるときは切る
どっちにするか最後まで悩んでいじっていたけど、
やはり切るべき。先生はかなり意識的にされているようす。同じ人の描写は、一文でまとめている。今度から迷わないぞ。

・おなじことばが続いてしつこいとき
一番最初に出てくる言葉を残し、あとのふたつを何とかしようとがんばったけど、一つしか消せなかった。そうか、なにも最初のを残さなくてもいいのよね。先生は二つ目を残しあとのふたつはうまく消している。とても自然。その手があったかー。

・読者に不親切
調査が必要な言葉を、調べ終わったところで安心してしまう傾向アリ。その後の配慮に欠けている。みんなちゃんとできてるのに~。耳慣れない言葉はしっかり配慮して説明調で訳すのが読者への「愛」。

・外に判断基準を求めすぎない
法廷物を二冊、原書をデータ化して検索できるようにしました。訳書も二冊用意して、専門用語が出てくると検索し、訳書と比べているのですが、あてにし過ぎない方がよさそう。podiumは証言台だろうと自分では思っていたのに、「評決のとき」を検索して、「演壇」と訳されていたのを見つけてしまったばっかりに、えー、演壇??と思いつつ、そちらをとってしまった。この言葉に限らず、頼りすぎると妙なことになってしまう。文の流れを大事にして、自分で判断することは忘れないこと

・一つのセンテンスのなかに同じ語が繰り返されないようにする。
これも、以前にも授業で教えていただいたのに、頭から抜けていました。いったん切る、前でまとめるなどの手をつかって、対処する。

・事実は変えない。
あるキャラクターが~と呼ばれているという原文で、~の部分は事実なので、変えない。配慮すべきところではない。マスコミが陪審席を占拠していたことについては、あれ?と思い、いったんは傍聴席に変えたけれど、法廷物をよむ読者はマニアも多そうだし、変えない方がいいのではないかと思って思いとどまった。でも、ここは少し配慮してもいいところ。傍聴席としないでも、いろいろな方法はある。

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授業でした

昨日は、ハライタピークの日で、職場も遅刻、授業はどうしようか悩むところでしたが、皆勤賞ねらいのわたしとしては、でないわけには行きません。

でも、最後の見直しができなかったー。ああ、やっぱり、やってるやってる。固有名詞発音辞典調べるの忘れたー。あとで調べようと思ってたのに・・・まあ、もちろん、やっちゃってるのは、それだけじゃないんですが・・・。

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一気読み

お風呂読書、通勤読書、机読書(お手洗い読書も?)で、併走中だった四冊のうち、トマス・クックの夜の記憶がいちぬけ。やっぱりおもしろい本から抜けていきますね。「夜の記憶」は面白いと言うより、とにかくおもかった。極限状態におかれた人間が人間らしくいられるかという、かなり深刻なテーマ。トマス・クックの作品は重厚で品格が漂いますね。こちらの訳も読みやすかったけれど、個人的には鴻巣さんの訳の方が好き。読んでいて語彙の豊富さにうっとりしてしまう(というか羨望で身もだえ?)。救いのない話でしたが、一応、最後は希望の光が見えたということなのかなあ?
で、あいた枠に新たな馬?を投入。こいつが、とんでもないやつで、びりっけつからいっきにトップに躍り出て、ぶっちぎりでゴール。久しぶりに一気読みの快感を味わいました。セバスチャン・フィツェックの「治療島」です。サイコスリラーもの、好きだからなー。それにしても処女作とは信じがたい。どんどん心の迷宮に引きずり込まれていく、何が現実で、何が嘘なのか、何を信じればいいのか、不安を掻き立てられ、ページを繰らずにはいられない。映画化もするようですね。このゾクゾク感とスピード感をどう出すのか、監督の腕の見せ所ですね。

ここのところ、立て続けに翻訳ものを読んでいて、あらためて思うに、われらがお師様の訳はやっぱりうまい。翻訳ものだということを忘れてしまう。(いま、先生の法廷物の訳書も読み始めています。わたしのようなへたっぴが言うのはかえって失礼なくらいなんですが)
先生の写真とコメントだけでゼミを選んでしまった不心得ものなのに、ずいぶんついていたものです。

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前回の反省 

前回の反省です。最近、課題が前より少し長めなので(といっても短いですが)、後半が特に甘くなっているかも。気をつけなければー。

・長くてもきれいにまとめられる
一文が長いとすぐに切りたくなるのですが、長くても綺麗にまとめればおかしくない。。一文のほうがすっきりするとか、すわりがいいとか、そのほうがふさわしい場所では(最初の欲求に従って。感じてたはず)頑張ってみる。短い表現(四字熟語とか)を選んで使うなどする。

・カメラワーク
映画の冒頭部分などでよくあるが、遠景から入って主人公にぐぐっと寄っていって、次に主人公の目線で周りを見渡し、語り始めるようなシーン。
なるべくその流れに沿いたい。できれば思考が後戻りしてしまうような描写にならないように。意識にあった。ここはセンターについて語っているところ。それがある街の話に戻っちゃだめだと思ったので、センター中心になるよう語順を調節してスポットをあてたつもりだったが上手く行っているか微妙。先生は街そのものをカットしてぶれないようにされているようだ。

・背景を溶け込ませる
「外は雨が降っている。」「わたしは~した。」このふたつ、つなぎたい。原文もつながってるし、流れから言っても、ずっと主人公の思考を辿っていたところなので、外の雨(背景)が浮いてしまう。わたしは主人公の体験として訳して、なじませようとしました。その考え方はOKでしたが、もう一歩。視覚ではなく聴覚に変えるくらいの柔軟さは欲しいところ。

・余計なおせわ
 うがい薬を取り出してうがいをしたという表現があったのですが、口の中の液体を出したシーンがありませんでした。あれ?っと思ってしまったので、語順を変えて違和感を軽減したつもりだったのですが。
 こういうのはお節介。ナシです。

・弁護士が乗るのは?
 日米で印象が違いすぎる言葉は要注意。カタカナ言葉はとくに。
 原文はトラックとなっていましたが、日本語でトラックといえば、やっぱりトラック野郎?(古すぎ?) 弁護士が乗る感じではどうしてもない。
 ちゃんと、浮かないように直しましょう。こういうのは配慮。(意識していたが、やっちゃっていいものか悩んでやめたところでした。こういう配慮はアリ。というか、配慮すべきところ。)
 
 ・時間が止まるところと動き出すところ。
 気をぬくと、現在形にするのを忘れる傾向アリ。注意。

・固有名詞は生かす
日本じゃ、ぴんとこない固有名詞を、どうせわからないからと思ってカットしてしまいました。わりとよくやっちゃう気がする。固有名詞は小説の細部を彩る意味でも、結構大事なので安易にカットしない方が良いとのこと。そういえば、聞いたことのない料理でも、響きからどんな味なのか想像を巡らしたりして楽しんでいるきがする。最近、海外ドラマの吹き替えと英語字幕を見くらべていたら、固有名詞をずばっとカットしていたりしていたので、ついひっぱられてしまいました。あれは、コメディ。あのままだと笑えないのでカットになっていたところ。よく状況を見極めて。必要のない時にはやらない。今回はその必要がない。

・ずらしてみる。
どうしても適当な訳がみつからない場合は、たとえばそれが名詞なら、無理に同じ名詞にしなくてもいい。その名詞が表すものの役割に注目して、「~しにいく」とする手もあり。その手があるのは意識していましたが、やっていいものか悩んでしまった。おかしな訳をつけるよりはずっといい。これはアリ。

・人物描写を訳すとき
その人物登場している間にとった行動にあうような訳をする。矛盾しないように。これは一応クリアしたかな。

・辞書にあっても浮いてしまう言葉
ちゃんと浮かないように考える。これも何度も反省してる気が。専門的過ぎたり、特殊だったりして、読むと引っかかってしまうような訳語は避ける。あまり辞書に縛られないこと。今回も、ひっかかるという意識はあった。どうにかしたいと思いつつ、もう一歩が踏み出せないことが多い。(もしくは無意識に投げちゃっているか。)

・好みでカットしない
入歯。今はもう70を越えるが、非常に勇敢な男のひとが出てきました。結構好きなキャラだったので、年はとっても入れ歯であってほしくなかった。ついつい、描写から「入れ」をカット…。私情をはさんじゃいけません。もちろん、これはナシ。

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ボロぞーきん・・・

嵐のような一日だった・・・。なんだって、ひとが少ない日に限って、仕事量が倍増するんだろう。ちぇ~、今日は供託かあ、と軽く憂鬱だったところに(裁判所の供託受入の係りには、いぢわるなオジサンがいるのです。)、外に出ていた弁護士さんからでんわが。依頼会社が供託金2件分ふりこんできちゃったから、もう一件一緒にやってきて、ですってー。書類まったく用意してないのにー。おおわらわで、電話して、登録免許税払ってきて、書類作って、必要な切手を買って来て、オジサンにつっこまれないように、何度も書類をチェックして。おかげでお昼を食べ損ねてしまいました。裁判所に行くといったら、ほかの先生たちからも次々と申し立てを頼まれ、うー、もうこれ以上持てません 砂袋をいっぱい下げた気球状態。そのうえ、ボス弁からは、退職する顧問会社のお偉いさんにお祝いの品を送りたいから、デパートに寄ってベルトを買ってきてくれと頼まれ・・・・。ナントカこなして事務所に帰り着けば、机の上にはこれ郵便で送っておいてねと弁護士さんからのメモが。さらに、別の弁護士さんからは、今日中に請求書をどうしても出したいから作ってくれと頼まれ・・・。

わたしの様子を見ていたひとりの弁護士さんがひとこと。

「弁護士より忙しいんじゃない?」

疲れました・・・。

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余計な気ばかり回してしまう

今週は授業のある週でした。あいかわらず、肝心なところに気が回らず、余計な気ばかり回してしまった。どうも最初の欲求に従ったほうがいいような気がしてきた。まあ、いいさ。とりあえず、実験君。やってみて、痛い目をみなければわからないこともあるし。(痛い目をさんざんみてるわりには学習しないけど・・・。いい加減、わかてくれ・・・わたし)詳しい復習は今週末に。たっぷりがまの油を流しましょう。

今回は飲み会も参加してきました。熱心なクラスメイトのおかげで、いつになく、シリアスな話題も出たりして、収穫でした。それにしても、ふと周りを見回してみれば、わたしともうひとり以外は、みなさま書籍翻訳経験者ばかり。あー、あなたの知らない世界だわー。未熟者には、ちょっと肩身が狭いけど、自分よりうんと早い人たちと一緒に走っていれば、自分の限界を超えられるかもしれない。

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読む本が増えていく

ここのところ英語力強化のことばかり書いていましたが、もちろん読書もしております。洋書は学校の課題本を、和書のほうは、数冊を平行して。TPOにあわせて、読む本を変えるので、どうしても併読というスタイルになってしまう。今は、通勤用(帰り)には小川洋子の「沈黙博物館」、お風呂読書用にはJグリシャムの「評決のとき」とトマス・クックの「夜の記憶」(気分によって変えます)、お休みの日、机で読むのはカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」。実は、おトイレ読書用もあったりする。いろんな世界を渡り歩いているので、ときどき軽く混乱します。今読んでいる本は皆、(グリシャム以外は)、すこし似た雰囲気を持っているので特にそうなのかも。

グリシャムは和書でも洋書でも何冊か読みましたが、どうも登場人物に共感できません(描写が浅いような気がする・・・)。今読んでいる本も、上巻を読み終わり、下巻の半分ぐらいに差し掛かろうとしているのに、なかなかのめりこめません。ついついトマスクックのほう(かなり面白くなってきました)を手にとりがち。お風呂読書の時間は大事なリラックスタイムなのでやっぱり純粋に面白いほうを読みたくなってしまう。

次に読もうと思って買ってある本が、家のあちらこちらで(トイレや、洗面所や本棚や机の上やクローゼットの中で)わたしを待ち構えております。そんないっぱいいっぱいの状況のなか、また一冊読まなければならない本が増えてしまった・・・。去年、自費出版で歴史小説を出版したおじが、また新たに本をだしたらしく、自宅に一冊送られてきたんです。ああ、今度はさらに大作なのね。前作に引き続き、装丁はなかなか立派なもので、本屋においてあったらつい手にとってしまいそう。(大きな本屋さんにもおいてもらっているらしいです。病院の院長さんで、お金もちだからなー)去年、感想を書いて送ったら、もの凄く心のこもったお手紙が返ってきて・・・。少しこわおもてで、こども心には近寄りがたかったおじだったので、あんな手紙を書いてくれるとは思いもしていませんでした。こうなったら今年も感想を書かないわけにはいかないだろうなー。冬休みに読むかー。

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前回の反省

先週末、うなぎに、ピザに、天ぷらそばに、生クリームたっぷりのコーヒーゼリーにと、連日おいしいものを食べていたら、おなかがびっくりしてしまったらしく、どうも胃の調子がよくありません…。とどめを撃ったのは、昨日お昼に食べた、中華おこげの大盛り。おこげって軽そうに見えるけど、油であげてあるんだよね。そりゃあ、胃も悲鳴をあげるわなー。そんなこんなで、前回の反省のアップが遅くなってしまいました(復習はしてたんですが、文章化する気力が・・・)。今日、朝、昼と、食事をぬいたら少し回復。気を取り直して、前回の反省です。

まだまだハイアセンをひきずっています。クールに行かないと。ウルトラCはいらない。
へんにいじりまわして推敲の過程で意味がずれてしまった箇所が多々あり。また、作者の領域に踏み込んでしまったところもあり。(そういう配慮は要らない)今後の課題は素直に、謙虚に。原文に耳を澄まして。

・動作の表現

動作を訳すのが苦手です。直訳すると、どうもぎこちなくなってしまうことが多く、ついつい、間を抜くこと(動作を一部はぶいたりして)で自然にしようとしてしまう。今回はとくに、その動作を繰り返すシーンだったので、そのまま訳すと、さらにぎこちない感じがしてしまう箇所でした。わたしはその動作をネイティブに確認してみました。すると、そういう時は、squeeze and hold っていうよりholdだけ使うほうが多いよねっていう口ぶり(書きぶり)だったので、罪悪感を感じつつ、またしてもぬいてしまった。でも、先生のようにすれば、丁寧に訳しながらも、不自然さを消すことができます。

・原文の味をぬかない 

前々回か?日本語にすると不自然になる比喩的な表現があり、薄めることで解決できたため味をしめてしまったみたい。手ぬきや逃げにはつかわない。

・現在形を見逃すな

最近文法は集中して復習してたのに、見逃してしまった。がっくり。

・おかしいと思ったら何とかする

ボローニャソーセージ、辞書にあるとのことでしたが、観ていたはずなのに見つけられませんでした。おかしいなー。前もそういうことがあったような。辞書の見方が悪いのだろうか?それにしても、ひっかかりはあった。流れから言ってクサイ飯という様なことを言っているはずだともおもったし、ボローニャソーセージじゃ拘置所で出すにはおしゃれすぎるとも思った。確かにそう思ったのに、何もしなかったのが一番問題。

・受験勉強で暗記した現在完了の落とし穴
現在完了をみると、反射的に、これまで~したことはないとしてしまう癖がついています。たぶん高校時代暗記させられた文があたまにこびりついてるのでしょう。次の文章と意味的にかぶるので、へんだなー、こういうときはなんかあるんだよなーと思ったのですが(無意味に同じ意味の文章が続くことはない)、解決できなかった。思い込みをすてれば見えたはず。

・原文の主語が文の途中でずれるときの処理

毎回、ひっかかる。今回も上手く出来ずに中途半端に。先生のやりかたをよく見て次はキチンと出来るようにすること。ポイントは文の切り方。

・人間関係をよく見てせりふをつける。強弱の度合いを間違えない
 若い刑務官が弁護士を馬鹿にするシーン。人物描写から乱暴な男というイメージを持ったのと、弁護士が刑務官に馬鹿にされてうんざりしているというくだりがあったので、それを強調するセリフにしてみたのですが…。方向性はあっていたものの、強弱をはげしく間違えました。一応、刑務官なので、そこらへんのごろつきみたいな喋りをさせるのはNG。馬鹿にしてると言っても、いちおう弁護士のほうが立場はうえだし、ほぼ初対面で個人的な恨みがあるなどの背景もない以上、罵倒に近い侮辱まではしないはず。あきらかにやりすぎました。誤訳しているわけではないけれど、こういう、文が読めていない系の間違いはかなりまずい。自分の気分にひきずられた訳をしない。よく耳を澄まして。
 
・キャラ考えて。
やっぱりなー、「~しますように。」っていうのは、大の男に言わせるにはかわいすぎると思ったんだけどさー、でも、チョコレートケーキだよー。かわいくてもいいかなーと、つい、思っちゃいました。

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今年もフェルメール展に行ってきました

今年はなんと7点も来るということで(早世の画家なので30点くらいしかないのです)、混雑を予想し、昨日の金曜、お休みをとって見に行ってきました。平日なのにかなり混んでました。おかげで、絵に見とれているうちに、友人とはぐれてしまったりというハプニングもありましたが、やっぱり見に行ってよかった・・・。

「小路」と「手紙を書く婦人と召使」が特によかった。「小路」は、見たとたん、友人とおもわず、「これ欲しーい!」(なんて身の程知らずな・・・)と声を合わせてしまうほど素敵な作品でした。赤いレンガの建物の戸口では、女性が何か繕い物をしており、そのかたわらで子供たちが遊んでいます。画面中央には小さな門が開いており、奥へとのびていく路地に、自然と視線が誘われていきます。その奥には、赤い服をきた婦人が、軽く腰をかがめて立っています。家事をしているのか、それとも誰かに挨拶でもしているのか。なんでもない日常の光景なのですが、温かさと穏やかさに満ちています。17世紀の、なんでもない一日に向かって開く、小さな窓のようでした。 こんな絵を部屋に飾れたらいいよなー。部屋が17世紀につながるようで。本物はとても無理なのでせめてと思ってポストカードを買ってきました。でも、やっぱりあの、視線を奥へいざなってくれるような感じはなくなっちゃいますね。

「手紙を書く婦人と召使」は、まさに静謐。静謐というエッセンスが、抽出されてそこに存在しているような絵でした。誰に書いているのでしょう、窓辺で、若い婦人が一心に手紙を書いています。そのかたわらには召使が控え、手紙が書きあがるのを待っています。誰か通ったのか、召使は窓の外をちらりと見ています。その小さな「動」きが、女主人を包む「静」けさを一層引き立てているようでした。内なる誰かに語りかけながら手紙を書く若い婦人。内の世界に向かっている彼女と、外の世界に目をやる召使が、コントラストになっています。

7点のなかには、初期に描いた宗教画もありましたが、キリストを描いた絵よりも、この2点のように、なんでもない日常のひとこまを描いた絵のほうが、ずっと厳かで神聖な感じがするのが不思議でした。

ずっと楽しみにしていたので、見終わってしまってなんだか寂しい気分です。フェルメールはここ3年くらい毎年来ているから、来年もなにかくるかな?一度でいいから、青いターバンの少女は見てみたいなあ。あれは門外不出?かなあ、やっぱり。

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