また、コンテストにチャレンジ中なので、復習がおくれぎみ。亀のようですが、前々回の復習を。前回のお当番のとき、とても難しかったので、前々回にあたりたかったというようなことを先生に愚痴ったのですが、「そんなことない、ここも難しかった」とたしなめられたのがこの回。台詞が多かったので、安易にこっちのほうが簡単だった、みたいなことを言ってしまったのですが、無知を露呈してしまったのが恥ずかしい。やさしそうに見えて、流れを読み違えやすい危険なところでした。
・敏感にならなくちゃ
ニュアンスがずれてしまっているところが何箇所かありました。違和感を感じつつもスルーしてしまった。もっとビシビシ感じるようになりたいものです。このままじゃ気持ち悪くってたまらないっていうくらいに。
突然やってきたことを表す文章で、「なんの前触れもなく現れた」としてしまったのですが、「前触れ」っていうのは運命を感じさせる言葉。予兆にちかい。事件かなにかが前触れもなく起こるのは変じゃないけど、ひとが前触れもなく訪ねてくるっていうのはへん、です。訳文をつくっているときにも違和感はかすめてたんだけどなー。なぜ捕まえ損ねたのか。
それから、「喧嘩を売りたいならご勝手に」というような訳文をつくったのですが、ついつい喧嘩に引きずられて「売る」が出てきてしまったのだけれど、今回の場合適切だったか?うまく言えないけど、売るだと自分以外の人間に向かう感じがする。ひとごとっぽいというか。喧嘩を売る気?ならいいような気がするんだけど。うーん、うまく説明できないけれど感じます。これもちょぴーっとかすめてたんだけど。アンテナ鈍いぞ。
・人物の感情の流れは必ず追う。
ぼんやりつかんでいるだけではだめ。普段の読書の時から気をつけてくせをつけないとなあ。つかみ損ねると訳が全く変わってきてしまいます。主人公が悲しげなら、何が悲しいのか、怒っている、という表現があれば、なぜ怒っているのか、誰に対して怒っているのかしっかり把握すること。そうでないと、見当違いなひとを睨みつけさせてしまったり、訳語が強くなりすぎたりしてしまう。
・配慮
先生の訳文を見ていると、効果的に言葉が足されている(というか 日本語をうまく合わせているというか)ことがわかります。流れをしっかりとらえていなければできない高度テクニック。
声が明るくなっていた。という表現があったので、私はそのまま訳したのですが、先生の訳には、キャラの感情の流れを追い、変化を際立たせるための一言がはいっていました。
また、原文に、「階段をのぼりはじめた」という箇所があったのですが、何も考えず直訳すると、どこに着いたのかよくわからないかんじに。へたをすると、のぼりっぱなしみたいになってしまう。先生はしっかり場所を明確にされていました。
我々は、日本語にするのでいっぱいいっぱいになってしまうところですが、こんな読者への配慮、できるようになりたいなあ。流れを読み間違えてやるとたいへんなことになりそうですが。でも、怖がっていてもしょうがありません。課題をやるときにはどんどん実験してみたほうがいいですよね。
・腰が引けた訳にならないように
中途半端なことはしないこと。台詞におちょくってる感を感じ取ったら、しっかりおちょくらせること。中途半端になるようなら、いっそやらないこと。l今回はOKとのお言葉をいただきましたが、ちょっとやりすぎたかも。キャラや全体から浮いちゃうほどやっちゃだめ、ですよね。
・会話のキャッチボール
しそこなってしまいました。ええ、ええ、わかってましたとも。でも時間がなかったのよ~(完全な言い訳ですな)
・会話の合間の地の文のこと
日米の言葉の違いで、英語では男女の口調に差がないため、日本語なら入れないようなところにも地の文が入っています。そういう場合はとっていいとのお話でしたが、キャラの描写の役割を果たしているものもあるので、そういうばあいはとらないほうがいい。あと、今回あらためて気付いた点がひとつ。そういう地の文は、台詞で分断されていても、ひとりのひとを描写したりしているので、一貫性をもたせ、形など注意して訳したほうがいいようです。
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