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プロとしての意識

授業に出るたび、一文一文先生の訳と照らし合わせて復習をしています(表にして、問題点を逐一書き込んでいます)。ブログに復習をアップしていないときもそれは欠かさずにやり(1回分溜まっちゃってますが)、とっても多くのことを得ています。たまった復習ファイルは私の宝物です。

でも、その一文をどう訳すかばかりが翻訳ではありません。授業ではもっと大きな視点で作品をみるというプロの姿勢を学ぶことができます。

今回の授業は作品が山場に向かう大事なシーンでした。先生はいつも作者の目を大事にするようにおっしゃいますが、今回はいつも以上に強調されていました。

「訳すというよりむしろ自分が作者になりかわったくらいのつもりで」

 禿同(2ちゃんねる用語 「激しく同意」の意)。そのくらいの気構えじゃないと血の通った文章にはならない気がする。その意識があれば、緊迫感に満ちたシーンをぶち壊してしてしまうような台詞を登場人物に言わせたり、なんとかの一つ覚えみたいにふぁっくゆーを「くそったれ」で片づけてしまうこともないはず(ううう、やっちゃった・・・ここはそれでいいと思ったんですもの)。罵倒語にバリエーションをつけて訳すのは、単調になるのをさけるためだけでなく、作品に深みを出すのにも有効です。

「メリハリをつけて訳す」

べたーっと同じトーンで訳していくのではなく、流すべきところは流し、丁寧に訳すべきところはきっちり訳す。これも作者の目がなければできない。作品をしっかり理解して、どこが流すべきところなのか、どこが強調すべきところか、わかっていないとできません。先生のおっしゃることを実践するのはなかなか大変です。かなり高度なお話。

「違和感を絶対に残さない」

これも禿同!!自分が違和感を感じるってことはほかにも感じる人がいるはず。もっともっと敏感な人だっている。せめて自分が感じたところくらいは直さないと。で、結構、この違和感ってやつは正しい(ときどき過敏に反応しすぎますが)。ウン十年日本人やってるんですもの、妙な日本語にはきちんと反応するようになっているのです。(初仕事の最終チェックの時、違和感があるところをしらみつぶしにつぶしていきました。感覚を研ぎ澄まして違和感に耳を澄ましつづけるのは、意外と重労働でした。頭が痛くなってしまった。)

「難しいところを易しく、易しいところを難しく」

今回ではなく前回の授業の時のお話でしたが、つよく印象に残りました。ハイアセンの時におっしゃっていたこととも通じると思います。日米の笑いには違いがあるのですべてのコミカルな原文をコミカルに訳すことができるとは限りません。そこでもっと全体的に考えて、原文がそうでなくてもチャンスがあればコミカルに訳すように努める。今回の課題のように、堅く難しめの原文の場合は、堅すぎて、そのまま訳してしまうと意味不明になってしまうような箇所は易しめに訳し、逆に、易しい箇所は、全体のバランスをとるため(トーンを統一する)に難しく訳す。うーん、高度だわ・・・。

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