« 2010年6月 | トップページ | 2010年10月 »

本の海へ

大台が近いということで、ずいぶん感傷的になっていましたわ。わたしらしくもない。口を開けただ待っていても、なにも落ちてこない。訳すものがないなら、訳すものを探してくる。どうやら待っている時代でもないようです。持ち込み、真剣にかんがえてみよう。面白そうだしね。一流の翻訳家に師事することができて、ここまで来させていただいたんですから、このくらいでやる気をなくしては、お師匠様にも失礼というもの。

持ち込みの手順としては、まず、本を探し出す→本を読む→本を訳す(またはレジュメを書く)→持ち込む、となると思うのですが、第一段階の「本を探し出す」が、一番ハードルが高そうです。やるべきことがいっぱいあります。とりあえず、情報に接触しなくてはということで、アメリカの書評誌、パブリッシャーズ・ウィークリーを購読し始めました。新人情報が充実しています。有望そうな作家を長期にわたって追っていくとよさそう。情報が集まるところにも積極的に出向いていきたいと思います。(専門書店やネット上のミステリファンの掲示板等)

それにしても本はたくさんありますね。わかっていたけど、まさに大海。その中から未訳で版権があいていて、自分が訳したいと思える本に、果たして出会えるのだろうか。一抹の不安と、わくわくを抱えて、本の海に乗り出していこうと思います。まさに「本の海 航海記」です。このブログのタイトルをつけたときには、そんなこと考えてもいなかったけど。夏休みが終わるまでには一冊くらい釣りあげられるといいなあ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

さて、これからどうしたものか

気がつけば一カ月以上もブログ放置していたのですね。バリバリと翻訳の仕事をこなしていてそんな暇がなかったのよー、とかいいたいところですが、実はその逆で、結婚式出席のためリーディングを断って以来、ぱったり・・・。いやー、断っちゃいけないっていう噂はほんとだったのね。まあリーディングの方は、実力不足で仕事が来なくなったわけじゃないのでまだ心は痛まないんですが、翻訳の方は、あの論文もどきの翻訳でしくじっちゃたのかと思うと・・・。ああ、せめて最後は普通のミステリーを訳したかった(最後って言ってもふたつだけだけど)。

厳しい世界でしかも厳しい時代なので、新人が入っていくすき間は限りなく狭い。ベテランの翻訳家でさえ仕事が減って困っているのに、のろくさくて誤訳したりする新人に、仕事が回ってくるはずもないよなあ_| ̄|○。

で、アフター○○書房どうするかっていうところなんですが、諸先輩方を見ていると、そのままゼミも翻訳もやめてしまう方、ゼミで一からやり直す方、他の翻訳学校やゼミに入ってチャンスをつかみ直す方など、十人十色。私自身は、翻訳の勉強を始めた、十年ほど前に決めていたことがあって、ここ一カ月ほど、どうするかなーと考えておりました。決めていたことというのは「○ンジュウまでに訳書をだせなかったら、翻訳をやめて、趣味で小説を書く」ということです。実は、お師匠様から出版社を紹介していただいた時も、そろそろタイムリミットも近づいているということで、小説教室のパンフレットなぞをあちこちから取り寄せているところでした(習うものじゃないのは分かっていますが、怠け者なもんで、締め切りがないと書けない…)。小学校一年生のときから、社会人になるまでずっと何かしら書いていました。応募もいろいろしました。日本児童文学者協会の主催する学生短編賞では最終選考14編に残り、選考委員の方数名から、「選外だがきらりと光っていた、いささか未熟な描写力(←翻訳者としてはまずいかも?)をはねのける魅力があった、今後に期待したい」などという嬉しい講評をいただいたこともあります。

社会人になって書けなくなったのは、今思えばチャンネルが違うからだと思います。書くときには合わせるチャンネルというのがあって、全身の神経を研ぎ澄まし、心を凝らしてそこに合わせないといけない。自分の奥底をのぞきこんでゆっくりと糸を垂らしていく。引き上げて出てくるものにはいつも驚かされました。社会人になってからは何かと気ぜわしく、そういうことする時間の余裕が、なにより心の余裕がなくなってしまった。自分の奥底から引っ張り上げてくるのはとてもエネルギーのいる行為です。でも書いてはいたかった。それで自然と翻訳に向かったのだと思います。自分の中から引っぱり上げてくる、一番しんどいところは原作者がやってくれています。そのあとの推敲の部分、世界を構築する部分を追体験できる・・・。そんな思いから文芸翻訳の勉強を始めたら、すぐにはまりました。原書という枠の中で表現しなければならない窮屈さを感じたこともあります。でも逆にその枠があるからこその面白み、というものも知りました。奥深い世界です。つい先ほど、自分の中から引っ張り上げてくる部分はやらなくて済む(もしくはやれない)と書きましたが、多少この世界をのぞいてみて、優れた翻訳家はその部分さえ、原作者と一緒にやっているんだということもわかってきました。出来れば続けていきたいという気持ちは強い。でも、もし芽が出ない場合、趣味としてでも続けていきたいかと問われると考えてしまいます。趣味でライフワーク的に続けるのなら、もういちど自分で書いてみたいという気持ちもあり…。

古くからの友人や身近な人たちは、「もう書かないの?」とたずねます。何気ない質問に心がざわめきます。私自身がその質問をときどき自分に投げかけるからです。高校生の時、私の作品を読んだ父が「まいった」と言って500円玉をくれたとか(妙にうれしくて、勲章のように飾ってありました)、大学時代、ゼミの同級生が私の作品を読んで、「強い人なんだね」といってくれたとか、親友が読み終わった瞬間に「これ、すごい!」といって目を輝かせてくれたとか、そんな他愛のないことを思い出した時、その質問が自分の中に浮かびます。自分の作風と似ている作家にあったときもそうです。もちろん、レベルは全く違うんですけど、匂いみたいなものが近いひとがいて、そんな作家の本を読むと、なんで自分は書いていないのか、とふと思ったりもします。

約束の○ンジュウが目の前ということもあり、なんだかいろいろ考えてしまいました。訳書は出なかったけど、自分の訳文が本や雑誌になったので、微妙なところだなー。全く芽が出なかったわけでもないし、もう少し期間延長してみるか…どうするか。ちなみに、先日○○書房の翻訳の方の担当者に暑中お見舞いメールを出してみたところ、雑誌でも本でも翻訳物自体を扱うことが少なくなってしまったので、なかなかお仕事をご紹介できなくてごめんなさいというような内容の丁寧なお返事が返ってきました。文面から受けた単なる印象ですが、私がへたくそだから回せないという感じでもないのかなーと(いや、そうだとしてもそうは書かないでしょうけど(^-^;)。それから、前に間があいたときメールした際にも言われたのですが、企画は受けつけているのでいい本があったら紹介してほしいとのことでした。そうかー、探してみようかな、本。今までは出版社や、エージェントが血眼になってヒットする本を探しているのに、素人の自分じゃとても無理だと、最初からあきらめてかかっていたところがあったけど、やらないで諦めるよりやってから諦める方がいいしね。それに、宝探しみたいで面白そうだし。うん、そうだな、もう少し頑張ってみようかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年6月 | トップページ | 2010年10月 »