とはいえ
とはいえ、樹状細胞療法は父の心の支えになってくれました。亡くなる当日の朝まで、父は次回も治療を受けに行くつもりで、真剣に主治医の話を聞いていました。父は目標をつくってそれに向かって頑張るタイプでした。高価な杖でしたがそのおかげであれほど、凄まじいほどまでに頑張れたのだと思います。
独身時代の私の貯金から出したとはいえ、共同生活を営んでいるのに、ためらいもなく、無駄金になってしまう可能性の高いお金を出すことに同意してくれた相方には感謝しています。実の息子ですらエビデンスのない治療にお金は出さないといっていたのに、次のクールは自分が出すよとまで言ってくれて(結局出さずに済んでしまいましたが)、自分の親のように考えてくれました。相方の両親にも同じようにしてあげたいと思います。
わたしにはまだ4歳の甥っ子と7歳の姪っ子がいるんですが、この甥っ子がなんというかひとの気持ちとか、場の雰囲気と言ったものにとても敏感で、お見舞いに行ったときには、父の病室に入った途端、泣きそうな顔になって、「ここは悲しいね、悲しいところだね」としきりに繰り返していました。お姉ちゃんのほうはいつもどおり、「わーい!おじいちゃん、来たよー」って感じではしゃぎまくってましたが(^_^;)
こういう共感力みたいなものって、生まれつきのものに近いのかもしれません。
相方も似たようなところがあって、父のことで泣いたり笑ったりしている私と一緒になって、泣いたり、笑ったりしてくれました。末期のがん患者は、ふっとよくなる日があるようで、父もやけに元気になった日がありました。この分だと治る気がするなんて言っている父を見て、私もうれしくなって、これなら次の樹状細胞の治療も受けにいけるかもしれないよと相方に話すと、なんだかとてもうれしそうにににこにこしているので、どうしたのかなーと思ったらひとこと。
「おまえが笑ってると、おれ、うれしい!」
・・・・・・ホレテマウヤロ~!!(チャンカワイ風に)
冗談はさておき、
ときどき、こういう共感力の高い人にはほんとにかなわないなーと思います。
友人の話を思い出します。
友人もお母さんが癌で(幸い再発もなく元気でお過ごしです)、ある日手術を受けたそうです。友人はとても優しくて考え深い人ですが、妹さんは、どちらかというと思ったままぱっと感情で動くほう。手術を終えたお母さんの元に駆け寄って、恐かったねー、と言ってなきながらお母さんを抱きしめたそうです。お母さんもいっしょに泣いてしまった。それをみて友人はかなわないなーと思ったとか。
どちらが人間として優しいとかそういう問題ではないのだと思いますが、あいだに頭が入らない分、思いがストレートに相手に届くんですね。
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