年明け
父が亡くなって初めての年明けです。
半年以上が過ぎて、ようやく夢にも元気な姿の父が出てきてくれるようになりました。
(初めのころは、死んでいるか、苦しげな姿ばかりで、しょっちゅう泣きながら目を覚ましていました)
それでもいまだに、何かの拍子に苦しんでいた父の姿がばっと脳裏に蘇って、涙が溢れてしまうことがよくあります。
父は享年75だったのでとりたてて早死にというわけではありませんが、天寿だろうがそうでなかろうが、大事な人が亡くなるというのはこたえるものです。相方は親代わりに育ててくれたおばあちゃんが92歳で亡くなった時、お葬式で天寿だと言われて猛烈に腹が立ったそうです。悲しみの深さと亡くなった年齢はあまり関係がないのかもしれません。90代と聞くと、わたしもつい父と比べてしまってそんなことを口にしてしまいそうですが、たわいのない言葉でも、時に人を傷つけてしまう事があるということを心に深く刻んでおきたいと思います。それだけ悲しむことができたということは、それだけ深く愛することができたということで、幸せな関係を築けていたあかしなのかもしれません。
父が亡くなって以来、ふしぎなことに死ぬのがあまり怖くなくなりました。ただ、ひとりで死ぬのは嫌だと思うようになりました。あの孤独と悲しみと苦しみは、とても一人で乗り越えられそうにありません。
わたしの大事な人にも、ひとりで死んでもらいたくないと、強く思います。
父は酷な病気にかかりましたが、家族全員にあれだけ思われながら逝くことができて、最後としてはとても幸せだったと思います。
また、父が亡くなって以来、終わりを基準に考えるようにもなりました。終わりを基準に考えると優先順位がおのずと決まってきます。わたしが抱えている持病は、比較的よくある病気ではありますが、最近の遺伝子研究によって、癌抑制遺伝子が上手く働かないことが原因で起きているということがわかったそうです。つまり、バリバリがん家系の父方の血筋を思いっきり引いているのを持病が証明しているようなもの。。。卵巣にできているものと考え合わせると、いつ、はい、そこまでー!と、人生を取り上げられてしまうかわかりません。いつ人生を取り上げられても後悔しないような日常を送っていきたいと思うようになりました。特別すごいことを成し遂げられなくてもいいけれど、自分のやりたいことをひとつひとつ丁寧にやっていきたいと思います。取り上げられたときに、ああ、自分の人生を生きられなかったと、自分や周りを責めたりしないように。いい人生だったと満足して手放せるように。
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