うおおおおおおお
切なすぎるじゃないか、トニーレオン!
失礼しました。たった今、「インファーナル・アフェア」を見終わって、とりみだしているところです。
胸が「せつない」で一杯です。せつなくて悶死しそうです。
トニー・レオン、なんであんなに哀愁があるんだろう。
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切なすぎるじゃないか、トニーレオン!
失礼しました。たった今、「インファーナル・アフェア」を見終わって、とりみだしているところです。
胸が「せつない」で一杯です。せつなくて悶死しそうです。
トニー・レオン、なんであんなに哀愁があるんだろう。
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フェルメール展に行ってきました。フェルメールは、見ているだけでこちらまで浄化されそうな、あの比類なき透明感がたまりません。
作品数が本当に少ないので、フェルメール展と銘打っていても、たいていフェルメールの作品は一点しか入っていないのですが、それでも行く価値は間違いなくあります。
今回のメインは「牛乳を注ぐ女」。
よかったです。
「画家のアトリエ」は、何者も立ち入ることのできないような、神聖で完成した空間でしたが、それとはまた違います。あふれ出してくるような幸福感。充実感。豊穣感。なんだか目に熱いものがこみ上げてきてしまいました。
見た直後は興奮冷めやらず、休憩室で(国立新美術館には、鑑賞ルートの途中に、独立した休憩室が配置されています。「牛乳を注ぐ女」が展示されているすぐそば、というベストな配置でした)、友人と二人、ぽつりぽつりと、浮かんでくるイメージを交換し合いました。この友人と美術館に来るときはいつもこんな感じです。話していると、自分の捉えたイメージが、正しく受けとめられているという、確かな手ごたえがあります。そして、互いに交換し合っているうちに、自分の奥からさらに深いイメージがくみ上げられてくるのを感じます。
いろいろな話をしました。昔一緒に見たミレーの話。ミレーを模写したゴッポの絵の話。このブログでも以前書きましたが、ミレーの絵に、暖炉の前で夜の祈りを捧げる貧しい農家の家族の絵があります。それを、ゴッホが模写した絵がとても印象的だったんです。とても模写とは思えない、タッチも色も全く違う絵になっていました。模写というのが外見を真似てそっくり書き写すというものだとすれば、模写ではありません。でも、不思議なことに、受けるイメージが一緒なんです。ミレーの描く絵は色調も暗く、描く対象も貧しい農家の人々ばかりで、決して華やかな絵ではないのですが、神々しいような輝きを放っています。ゴッホの描いた模写は、元の絵の暗い色調からはとても思いもよらないような、まばゆい光に溢れたものでした。ミレーの絵が持っている本質的なイメージをつかみとったんですね。一枚の絵に触発されて、そんな話から人生論までどんどん話が発展。まだ鑑賞している途中だったというのに、結局二時間もそこで休憩してしまいました。時間切れでほかの絵は流し見になってしまいましたが、大満足。充実した一日でした。
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