しかし、派手だねー。

ダン・ブラウンのAngels&Demons、読了しました!途中からスピードを意識して、タイマーで測りながら読んでみました。読みやすいページは2分を切るけれど、むずかしいページは倍以上かかったりしているので、平均すると、一時間に18ページくらい。うーん、遅いなあ。単語力がないので、辞書をひきひき読んでいるのがいけないのでしょうねー。知らない単語はどうしても知りたいたちなのでついひいてしまう。でも、このお話、かなりはらはらどきどきもので、最後のほうは先が気になって、辞書を引くのももどかしく、辞書を放り出して、いっき読みしてしまいました。

いやー、ど派手ですね。ダヴィンチ・コードより、映画に向いている気がする(かなりハリウッドっぽいけど)。で、たぶん、ダヴィンチ・コードより、映画は売れるんじゃないかな。こっちのほうが人間が描けている。知らなかったけど、5月に公開予定らしいですね。でも、素朴な疑問だけど、これってバチカンは怒らないのかしら。

それはともかく、せっかく読んだので早速リーディングの練習材料にしてみようと思います。フェローに申し込んだ講座のほうは、まだ教材が届かないので。

天使と悪魔、訳書のほうも読んでみました。ざーっと流し読む程度ですが。まず原書を何十ページか読んでから、次に答えあわせのようなかんじで目を通しました。速対訳ですね。(そんな言葉あるのか?)おお、正確無比。お会いしたことはないけれど、きまじめなお人柄が伝わってくるようだ・・・。でも、やっぱりわたしはお師様の訳のほうが好きだなー。

次は、課題本を読まなくちゃ。チラッと見たけどなんだか難しそう・・・。

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読了、ベストセラー小説の書き方② および最近の読書

①のつづきです。

・場面転換をするとき

 作者は、たくみな場面転換は読みやすく流れるような文体をつくる上で大きな役割を果たすため、余分な描写などをせず、速やかに読者を次の場面に案内するよう勧めています。主人公がどこからどこへどのように移動するかという情報は、ストーリーに新しいことを付け加えたりしない性質のもので、詳しく説明するとストーリーが失速することになるから、だそうです。

― 主情報ではない情報の描写はなるべくさらりと。これも、翻訳の授業で何度も教わりました。面白かったのは、作者が例としてあげた上手な場面転換の方法。前の場面とあとの場面の間に、一行空白をいれて、がらりと転換するのですが、その場合、前の文章の最後に、次の文章(場面)へとつながる橋渡しの言葉を用意するとスムーズにいくのだそうです。このあたりも心得ておかないと、橋渡しの言葉を、バラバラの訳にしてしまったりして、作者の意図を台無しにしてしまいそう。

・視点の問題(一人称、三人称など)

人称や視点の問題も、いろいろと参考になりました。一人称は読者の共感を呼びやすく、物語の世界に引っ張り込むには適しているけれど、当然ながら、語っている本人の描写ができない。主人公が出会う相手の反応から、主人公の姿を推測させる形をとらざるをえない。(本人に語らせると、ナルシストっぽくなってしまう)また、自分以外の登場人物の心理描写がしづらいという問題点がある。そのうえ、主人公が共感できないキャラだと逆に本を置かせてしまう危険もはらんでいる。そこで、この作者は三人称で書くことをすすめていますが、その場合の視点の置きかたもいろいろ工夫しているようです。例としてあげた作者自身の作品では、のちに容疑者となる人物(仮にXとします)を描き出すために、X自身に視点を置くことを避け、第三者(ほぼ脇役)に語らせる形をとっています。そうすれば、容疑者の外見を描写することができ、同時に、容疑者の内面までは描かないですむことになり、効果的に容疑者としての役割を果たさせることができるのだそうです。

― うーん・・・ますます視点の訳し方に悩んでしまいそう。やっぱりここまで考えてるのねー。なんとなく訳しちゃうとまずいわけだ。

また、授業でも先生がよくおっしゃるように、ひとつのシーンで視点をころころ変えないようにというアドバイスもありました。作者の存在を読者に感じさせ、リアリティを破壊してしまうからだそうです。

作家自身による小説指南本、とてもためになりました。何冊か読んでみましたが、やはりアメリカの作家のものが、翻訳の勉強にはよさそう。こんどはスティーブン・キングの小説作法を読んでみようかな。やはり、物語のつくりかたについて書かれている「ハリウッド・リライティング・バイブル」という本(ハリウッド映画の脚本製作の黄金律のようなものが書かれているらしい)が、面白そうだったので探していたのですが、どこの本屋でも入手不可能で、原書で取り寄せて読み始めています。なかなか新鮮。

ついでに最近読み終わった本も

「日暮し」宮部みゆき ・・・時代物。やっぱり物語のつくりかたが上手い。ちょっと分析して、仕組みを調べてみたくなりました。時代物というのは、キャラクターを派手めに作っても不自然にならないので(今は、こんなひといないよーってくらい、極端に善人に描いても浮かない)、メリハリがでますね。作者としてはやりやすいのかも、と思いました。

「東京下町殺人暮色」宮部みゆき ・・・ 良くも悪くもスナック感覚でした。

「ラッシュライフ」 伊坂幸太郎 ・・・ 相変わらず緻密。上手くなっているけれど、青臭さが抜けていて個人的にはちょっと残念。独特の、現実にはありえないような台詞回しも好きなんですが、この作品では薄められているような。それにしても、才気あふれる作家さんです。

洋書のほうは、「エラゴン」を半分読んだところで挫折(半分読んでも興味が持てなかったのでやめることにしました。無理して読んでもすすまないしねー)、

今は同じく下訳前に読んでいて止まっていたダン・ブラウンのAngels & Demonsを読んでいます。すっかり内容を忘れていたので最初から読みなおしています。スケールがやたら大きなお話ですね。ビッグバンを創り出すのに成功した!とは。荒唐無稽といってもいい話なんだけど、ついついページをめくってしまうのはやっぱり、読ませる腕があるってことですね。殺人の動機もそれなりに説得力があるし。

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読了 「ベストセラー小説の書き方」 ①

しばらく、お手洗い本兼お風呂本となっていた、「ベストセラー小説の書き方」(ディーン・R・クーンツ著)、読み終わりました。(いや、ベストセラーを書こうとか、そんな大それた野望があるわけではないです・・・念のため。)作り手の気持ちがよくわかり、文芸翻訳を勉強する上では、とても参考になる本だと思います。Dog earがたくさんできました。備忘録もかねて、参考になったところを幾つかご紹介します。

・アクションシーンで使用する動詞

 作者は「アクションシーンを書くときには派手で緊迫した動詞がアクションを盛りあげ、引きしめる」として、自分の作品を例に出し、便所を「離れた」ではなく、「体当たりした」、戦闘機が「飛ぶ」ではなく、「弧を描く」、爆弾を「落とす」ではなく「ぶっ放す」などとして、強くて動きのある動詞をなるべく使うようにしたと書いています。(作者がここで例に挙げた小説にはコメディータッチでもあったので、とくに派手な動詞を選んだようです)但し、こうした動きのある動詞をセンテンスごとに使用すると、甲高いばかりの一本調子な文章になってしまうので、乱用せず、文章にリズムを持たせるべきだとしています。

―作者がこれだけ、動詞ひとつの表現に気を配っている以上、訳者は、妙な訳語を当ててその気配りをぶち壊したりしないよう、細心の注意を払わないといけないですよね。

・舞台設定

ある作品が例として挙げられ、舞台設定が作品に与える効果について述べられています。作品の舞台となったキャッツキル地方は、かつて数多くのエンターテイナーを輩出し、ギャンブルで栄え、不況の波に飲み込まれていった土地なのだそうえす。いわば、破れた夢、失われたチャンス、果たされなかった約束のシンボルであり、精神的な破綻から、破滅と狂気の世界に身を落としていく腹話術師にはふさわしい舞台となっている、と作者は説明しています。

また、逆に、ホラーなど非日常的な出来事が起こる作品では、どこにでもある普通の場所に物語を設定し、ふつうの仕事をもつ、ふつうの人々を描くことでリアリティを植えつける手法をとるそうです。そのため、設定された舞台がニューヨークだったとしても、活気に満ちた騒がしい一面については描写が抑えられ、どこにでもある一都市として描かれるのだそうです。

―舞台設定の意味は、訳し始めのときによく考えさせられる問題です。どうして作者はそこを舞台にしたのか。作者はどんな物語にしたいのか。どんな色をつけたいのか。

少し理解が深まった気がします。

・詳細に描かれるシーン

無駄に描かれるシーンはありません(良い作品なら、無いはず)。作者の紹介する、ある作品では、エレベーターの点検と修理のシーンが何度か出てきて、装置の仕組みについて説明されます。このシーンは、エレベーターに乗っている人たちに何か恐ろしいことが起こる気配を読者に感じ取らせる、伏線になっているそうです。

―そんな作家の狙いに気づかず、「エレベーターの説明、ちょっとしつこいよ」なんて、勝手に抜いて訳したりしたら、また作品をぶち壊すはめに。ああ、おそろしや。

・会話での注意点

作者は小説に出てくる会話は、現実生活とは違うので、回りくどくならないよう、要点を述べるべきだといいます。そうでなければ、作品が間延びして緊張感がなくなってしまうそうです。

―訳す立場としても、そういう作家の配慮を汲み取り、要点をついた会話になるよう訳さないといけませんね。

また、この作者によると、会話は、地の文(「と誰々は言った」)がなくても誰のセリフかわかるようにするのが本当で、そうでなければ会話自体に問題があるのだそうです。

―ちょっとこれは意外に思いました。日本の作家は地の文をつけないことが多いけれど、向こうの作家は、結構地の文をつけていることが多く(「わたし」も「ぼく」も"I"なので、誰のセリフかわかるようにするため必要になることが多い)、普段意識してはずして訳しているので。でも、日米問わず、地の文がなくても分かるセリフが望ましいんですね。リズムを壊してしまうことがあるからでしょうか。

この作者も、話し手を明示する必要性がある場合は、9割がた、「言った」「たずねた」で事足りると述べ、強い言葉が必要なときでも、「叫んだ」「主張した」くらいの、風変わりではない言葉を使ってリズムを壊さないように勧めています。(「身震いしながら言った」「躍りあがって喜んだ」などと使うのはアマチュアか、リズムの分からない不幸な人だそうです。きつい・・・・・・。そんな訳をしがちなので、肝に銘じておきます)

―②に続きます。その前に、お当番の反省しなくちゃ。でも、詳しくみるのが怖い・・・・

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わたしを離さないで カズオ・イシグロ著

美しく哀しい、繊細な物語だった。こうしたテーマで小説を書けば、どうしたってどぎつい色が出てしまいそうなものなのに、水彩画のような静かな世界が淡々と広がっていく。ずっと雪景色だったような印象すらある。あらゆる音が吸い取られた、しんと静まり返った世界。保護官とは・・・介護人とは何なのか、次々と明らかにされる驚愕の真実も、その世界を崩すことはない。
主人公の心の機微が丁寧に描き出されている。一人の人間が想像のうえで創り出した人物だとはとても思えない、リアルな存在感。その繊細な描写は、繊細であればあるほど、主人公の生まれや、運命、存在そのものの哀しさをいっそう際だたせている。
読後感は哀しみが心の底の方を静かに流れているような感じ。胸を締め付けられるような哀しみではない。不快さもない。ただ静かにそこに存在する哀しみ。
とてもいい本を読んだ後は、しばらく何も入れたくなくなる。次に読む本の選択が難しい。

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「椿山課長の7日間 浅田次郎著」読了、&ふと感じた翻訳への畏れ

ああ、また罠にハマったー。泣かせるんだろーなーと予測はしていましたが、作者の思惑通り、滂沱の涙 ラストのほうは文字もろくに読めない有様。あっさりとハメられちょっとくやしい気も。浪花節的なところが、文学通には敬遠されてしまうのかもしれませんが、エンターテイナーとしてはやっぱり一流だと思います。

キャラクターはある意味類型的です。主人公たちの性格もかなりわかりやすい。仕事の鬼で家庭は妻にまかせっきりの熱血デパートマン、任侠と渡世の世界に生きる、古きよきヤクザ等など・・・ひとことで、ある程度書き表せてしまうくらいわかりやすい。でも、すごいのは、その類型に向かってとことん磨き上げていくところ。せりふ、行動、嗜好など、ディティールをすべて、同じベクトルにあわせて積み上げることで、キャラクターを明確に浮かびあがらせている。

どのエピソードも無駄には書かれていない。椿山課長が新婚旅行のワンシーンを思い出す場面では、さらりと、ふたりが寄り添っていたハワイのビーチが人工のものであることに触れられている。その先の結婚生活が、偽りのものであることを暗示するひとことだ。読み飛ばしてしまいそうな一文にも、意味がこめられている。しっかり計算されている。怖い作家だー。思わず、下訳を終えたばかりの某作家の文章を思い出してしまった(雰囲気はだいぶ違うけど)。この本を訳す翻訳家は苦労するんだろうな。同情してしまう。コミカルで思わずにやりとしてしまう文章も、きっと再現が大変だろう。誰だかわからないけど、君の苦労は良くわかるぞー。

それにしても、こうして母国語で良い本を立て続けに読んでいると、外国人がそれを読んで、ネイティブと同じように深く味わい、魅力を損なわずに再現するなんて、(ほんとに一握りの才能あふれる翻訳家でないと)無理なんじゃないかという気分になってくる。なんだか、無謀なチャレンジをしているような、風車に立ち向かうドンキホーテの気分。

もしわたしが翻訳家で、ものすごーくいい本を訳すチャンスに恵まれて、でもその魅力を損なわないだけの力量がない場合、どうすればいいんだろう、と愚にもつかないことを考えてしまった。でも、これはかなりのジレンマだろうなー。惚れ込んでしまうほどのいい本、出来れば自分が訳したい、でも力量不足で、自分が訳せば大好きな本の魅力を損なってしまうのは目に見えている・・・・。もしかしたら、血の涙を流しつつ、他のもっと実力のある方にお願いしてしまうかも・・・。その方がその本のためには幸せだものなあ。(ありもしないことで悩むとは我ながらひま人・・・

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コンビニ・ララバイ 池永陽著 

いい本を読むと、なぜか、座っていられないような気分になって、部屋中を落ち着きなくぐるぐるまわってしまったりするのですが、この本もそんな本でした。昨日の夜は枕元にティッシュの山が出来てしまった。(涙腺がゆるいもので)

以前読んだ「走るジイサン」は、息子の嫁に恋心を抱くジイサンの頭上に、ある日突然猿が現れるという奇妙奇天烈な設定。なのになぜかリアルで引き込まれるのは、人物にしっかりとした影があるから。正義感があって真っ直ぐで・・・なんていう、二次元の薄っぺらいヒーローはこの人の作品には登場しない。

この「コンビニ・ララバイ」の登場人物たちの足元にも濃い影がちゃんとある。舞台は町の小さなコンビニ、ミユキマート。オーナーは交通事故で妻と子供を亡くした幹夫。幹夫の持つ、やさしい暗さがコンビニを訪れる人たちの心のひだを撫ぜる。

皆それぞれの人生の中でもがいている。万引きを繰り返す女子高生は、彼氏の命令で中年男と援助交際をしながらも彼を嫌いになれない。水商売の克子は、真剣に結婚を申し込んできた客の石橋に心を動かされながらも、どうしようもないヒモ男の栄三と離れることが出来ない。劇団員の香は役めあてで妻子もちの演出家小西と寝るが、それでも役をもらえず、恨みながらも小西への尊敬の念を捨てきれない。

こんな場合、この彼氏やヒモ男や演出家を、悪役で描いてしまえばすっきりするのだろうが(でもチープになるのは間違いない)、この作家はそうはしない。悪役であるはずの彼らを、人間的で、ある種魅力的でさえある人物として描く。この人の描く愛は、ピンク色のお菓子のような愛ではなく、こすってもこすっても落ちないどす黒いシミがついたような愛だ。

解説で北上次郎さんが、この作品を評して「重松清と浅田次郎を足したような小説」と書いているが、私はさらに石田衣良も足して、そこから重松清と石田衣良の青臭さ(←これが好きなところでもあるんですが)をぬいたような作品という感じがする。少し引いて、現実の醜さを見据えながらも、それでいてとてもやさしい目線だ。人間ってあほだね、しょうもないね、でも、なんかいいよね。そういってる感じがする。

挿話や小道具の使い方が効いている。たとえば、水商売の克子が、ヒモ男栄三のゴワゴワした硬い髪が立てる音を聞くたびに思い出す、生まれ故郷の「わら布団」。ひなたの匂いとわらの音。貧しさと暖かさ。幼い日の思い出。帰りたくても帰れない故郷。わら布団を出したことで、ぶわっと世界が広がっていく。どうしようもない男なのに、なぜか別れられない気持ちがリアルに伝わってくる。うまい作家だなあと思う。

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「グロテスク 桐野夏生著」読了 あと、ちょっとうれしかったこと

通勤電車で桐野夏生の「グロテスク」(上)(下)を読了、日本語への渇きがちょっとおさまりました。圧倒的なパワー。以前、本屋さんで立ち読みしたときに、引きずり込まれてそのまま30分読み続けてしまった本で、ずっと気になっていたのですが、「OUT」を読んだときに、リアルすぎて気分が悪くなり(夫の死体をバラバラにする描写や、覆いかぶさってくるような閉塞感がたまらなかった)上巻のみでギブアップしてたため、なんとなく手が出なかった。しかし、自分の世界に否応なしに引きずり込む、このパワーはすごい。読み終わった後も、頭の中で大きな渦が巻いているようで、なかなか現実に戻れず、ぼーっとしてしまいました。東電OL事件をモデルにしたと言われている小説ですが、そんなこともどっかに飛んでしまうくらい。子供のころから「頑張れば認められる」という神話にすがりついてひたすら努力してきたエリートOLが、社会に出てどんどん壊れていく様子は、並みのホラーよりもずっと怖いです。でも、怖いだけじゃないんです。タイトルどおり、グロテスクな世界のはずなのに、一本通ったような美も感じるのはなぜなんだろう。薄っぺらな感想を書くと、作品を汚してしまいそうなので、とりあえずはこのくらいで。

久しぶりに読書の楽しみに浸っていましたが、少し前にちょっとうれしいメールをもらいました。だいぶ前に、翻訳のクラスの飲み会でお勧めした本を、クラスメイトのおひとりが最近読まれたらしく、衝撃をうけたとメールをくれたんです。普段、メールのやり取りなどをしているわけではなく、突然、本の感想だけ書かれたメールがきたので、少し驚きましたが、そのぶん、本当に感動してくれたんだなーとおもうと、なんだか、鼻が高いというか(自分で書いたわけじゃないんですが)、うれしかったです。自分の薦めた本が、誰かのこころを動かしたのかと思うと。本好き冥利に尽きますねー。翻訳の醍醐味もそんなとこにあるのかもしれません。

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憑神 浅田次郎著

ふと思えば、そもそもこのブログのタイトルは「本の海 航海記」でした。なのに、9月辺りから翻訳の話ばかりで一冊も本の紹介をしていません。いろいろと読んではいたのですが・・・・・・。このままでは「ほんやくの海 後悔記」になってしまう!(あ、結構いいかも。サブタイトルにしよっかな)

というわけで、この辺りで一冊。ロンググッドバイから数えて4冊目のお風呂読書本、浅田次郎さんの「憑神」です。今年読んだ和書のなかではベストといっていいほど面白い本でした。おかげでお風呂が長くなり、毎日ゆでだこ状態でした。

 主人公の別所彦四郎は、裕福な婿入り先からいびり出されて出戻った、貧しい武家の次男坊。ろくな稼ぎもなく、気の強い兄嫁に遠慮しながら、肩身の狭い暮らしをしている。そもそもいびり出されたのも、家柄が悪いからというだけで、自分にはなんの落ち度もない、文武両道で、誰からも出世頭と目されていた自分がどうしてこんな目に・・・。あまりの運の悪さに、霊験あらたかと噂の高い「三囲(みめぐり)稲荷」に出世の願をかけるが、これがとんだ「みめぐり」違い。彦四郎が手を合わせたのは、出世どころか、貧乏神、疫病神、死神の三邪神が、順繰りに、拝んだ者にとり憑くという、「三巡(みめぐり)稲荷」だった・・・・・・。

とにかくテンポがいい。会話がいい。まるでうまい落語を聴いているような気分になってきます。時代小説で、見慣れない言葉も多いはずなのですが、読みづらさを微塵も感じさせません。これなら、時代小説が初めてという方でもとっつきやすいと思います。それでいて、ふんわり軽いおかしのような「しゃばけ」シリーズ(好きですが)と違い、中身もぎゅっとつまって滋養もたっぷり、もちろんお味も最高です。

今風の言葉で言うなら、登場人物たちの「キャラがたって」います。一癖もふた癖もあるキャラクター達が次々登場。しゃれた着物を着こなした大店のあるじ風の貧乏神、雲をつくような巨漢の力士の姿をした疫病神、愛くるしい少女姿の死神。出てくるキャラクターは皆どこかあったかみがあり、この三邪神ですら、彦四郎の人柄にほだされて、つい矛先を緩めてしまうような人(神?)の良さを持ちあわせています。

中身の濃さも魅力。ラストサムライよりずっとラストサムライでした。何億も制作費かけて、トム・クルーズまで使って映画を撮らなくても、浅田さんがひとりで書いちゃってるじゃないの。最後のサムライの矜持を。おそるべし浅田ワールド。鋭くて苦い真実も、こんなふうに舌触りがよくて美味しい皮に包まれたら、いくつでもいけてしまいます。やっぱり、苦いものを苦いまま出すんじゃ能がないし、粋じゃない。その点、腕の確かなすばらしい作家さんだと思いました。(そういえば「復讐はお好き」のカール・ハイアセンもそうですね。)「ぽっぽや」のイメージが強く、今までなんとなく手が伸びなかったのですが(いかにも泣かせますぜ!って感じのものはつい敬遠しちゃいます。結局泣かされるんですけどね)、もっと早く読んでおけばよかった。でもこれからの楽しみが増えました。次は「椿山課長の7日間」を読んでみよ。

ちなみに、9月から読んだ本は 「ロンググッドバイ」(村上春樹)、 「狂骨の夢」(京極夏彦) 「海辺のカフカ(上)(下)」(村上春樹)、 「照柿(上)」(高村薫)、「メソポタミアの殺人」(アガサクリスティー) 「ちんぷんかん」(畠中恵)、そしてこの「憑神」です。 あとは今読みかけの本が3冊くらい。年末年始の移動中に片付けちゃおうと思ってます。 

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「博士の愛した数式」 小川洋子著

寺尾聡主演で映画化もされた、いわずと知れた名作。文庫化を待っていたら、読むのがちょっと遅れてしまいました。

家政婦の「私」が新しく派遣された先は、記憶障害を持つ数学者「博士」の家だった。博士の記憶は80分しか持たない。時間が経過すると、一からやり直し、初対面の挨拶から繰り返されることになる。博士は、失われた記憶能力を補うため、無数のメモをシャツにとめている。そんな博士をいたわり気遣う「私」と「、私」の息子「ルート」。そのいたわりは決して憐憫ではない。博士に対する強い尊敬と愛から、自然と生まれている。博士は、人知を超えた美しい数の世界に生きている。神のわざともいえる、その整然とした法則の前で、博士は謙虚に頭を垂れる。その姿はとても美しい。蓑虫の蓑のような、無数のメモの下には、輝ける崇高な魂が隠されている。

三人が紡ぎだす、美しく、悲しく、幸せな空間。悲しみと幸せがこんなにも美しく同居できるとは知りませんでした。この小説の世界にずっと浸っていたい、そう思わせてくれる作品です。小川洋子さんは薫り高い世界を書くことのできる、数少ない現代作家だと思います。作品の気高さは、明治の文豪にもひけをとりません。もし、私に日英翻訳が出来たら、こんな小説を、世界中の人たちに知らせたいなー。

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質問力 斎藤孝著

色々聞きたいことがあるのに、いざとなると質問が出て来ない、そんなことが多くて(授業でもそうなんです。人が質問しているのを聞いて、「そうそう、それが聞きたかったの」なんてことが多い)気になっていました。そんなときにこの本が目に入ってつい購入。思っていた内容とはちょっと違いましたが、実際のインタビュー集をもとに、斎藤氏がインタビュアーの質問力を分析していくという、ちょっとほかにはないタイプの本で、興味深かったです。思わずメモを取りながら読んでしまいました。インタビュアーたちの質問力もすごいけど、一見何気なく見える会話から、これだけのことを読み取る斎藤氏もすごい。

以下は私の取ったメモの一部です。

第三章
沿う技
1うなずく
 おうむ返し
 繰り返し 相手の言葉を組み込んで話す 共感 同調
 相手との共通点を意識しながら対話

2言い換える→消化していることを相手に示す
 引っ張ってくる→A相手の話の中から(20から30分前)キーワードを見つけて今の文脈に持ち出す。
B外部からのテキスト

[あまり知らない人との対話]
・繰り返し 相手の言葉を組み込んで話す 共感同調
・相手との共通点を意識しながら対話→沿う質問で好きなものを探る
[知ってる人との対話]
・相手の苦労したところ(力をいれているところ)をしっかり認める
・その人の経験を引きずり出す 主観的な経験を一般論とつないで質問(すばらしい審美眼ですがそれは映画でも大事ですね)
・相手の話にポイントをたくさんみつける
・別のこれと似てますか?っていう質問(こう理解したというメッセージ)

(高度な技)
・相手の言葉を比喩的に言い換えて自分と相手の話を絡める。
・強引に距離を縮める。つっこみ
・相手が変化したポイントの話を聞く
・昔言っていたあの話はどうなった?(昔のたった一言も忘れてませんよというアピール)
 

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