去年読んだ本

②に行く前に去年初めから今年にかけて読んだ本を。自分用の備忘録です。
「警官の血」上下 佐々木譲 続きが出てるみたいですね。よんでみたい。
「灰色の虹」上下 貫井徳郎 ラストがたまらなかった~。
「情事の終わり」 グレアム・グリーン 翻訳は古くてちょっときつかったけど、ぐっときた。
「復讐法廷」  ヘンリー・デンカー 正義とは何か考えさせられた
「八日目の蝉」 角田光代 
「斜陽」「駆け込み訴え」「グッドバイ」など 太宰治  太宰治は抉るように人物を描く。
「テンペスト」 「リチャード三世」シェイクスピア 他の訳も読んだけど、福田恒存訳はやっぱり読みやすいし、ゴージャス。
「皇帝の嗅ぎたばこ入れ」 「火刑法廷」ディクスン・カー
「隣の家の少女」 ジャック・ケッチャム
「卵をめぐる祖父の戦争」デヴィット・ベニオフ 
「蝶」皆川博子
その他青空文庫で、芥川龍之介「戯作三昧」等、好きな作家をつまみ食い。あと、ビジネス書系のものも数冊

年末年始で、
「悼む人」上下 天童荒太 余計なことはいいたくない、とてもいえないくらいよかった。
「幻夜」東野圭吾 徹底した悪女。ノワールっぽい?
「犬神家の一族」横溝正史 レトロな雰囲気がいいねー。
そして今もひきつづき「悪魔がきたりて笛をふく」。横溝正史、ひとからたくさんもらったので、しばらくつづくかもー。

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わたしを離さないで カズオ・イシグロ著

美しく哀しい、繊細な物語だった。こうしたテーマで小説を書けば、どうしたってどぎつい色が出てしまいそうなものなのに、水彩画のような静かな世界が淡々と広がっていく。ずっと雪景色だったような印象すらある。あらゆる音が吸い取られた、しんと静まり返った世界。保護官とは・・・介護人とは何なのか、次々と明らかにされる驚愕の真実も、その世界を崩すことはない。
主人公の心の機微が丁寧に描き出されている。一人の人間が想像のうえで創り出した人物だとはとても思えない、リアルな存在感。その繊細な描写は、繊細であればあるほど、主人公の生まれや、運命、存在そのものの哀しさをいっそう際だたせている。
読後感は哀しみが心の底の方を静かに流れているような感じ。胸を締め付けられるような哀しみではない。不快さもない。ただ静かにそこに存在する哀しみ。
とてもいい本を読んだ後は、しばらく何も入れたくなくなる。次に読む本の選択が難しい。

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一気読み

お風呂読書、通勤読書、机読書(お手洗い読書も?)で、併走中だった四冊のうち、トマス・クックの夜の記憶がいちぬけ。やっぱりおもしろい本から抜けていきますね。「夜の記憶」は面白いと言うより、とにかくおもかった。極限状態におかれた人間が人間らしくいられるかという、かなり深刻なテーマ。トマス・クックの作品は重厚で品格が漂いますね。こちらの訳も読みやすかったけれど、個人的には鴻巣さんの訳の方が好き。読んでいて語彙の豊富さにうっとりしてしまう(というか羨望で身もだえ?)。救いのない話でしたが、一応、最後は希望の光が見えたということなのかなあ?
で、あいた枠に新たな馬?を投入。こいつが、とんでもないやつで、びりっけつからいっきにトップに躍り出て、ぶっちぎりでゴール。久しぶりに一気読みの快感を味わいました。セバスチャン・フィツェックの「治療島」です。サイコスリラーもの、好きだからなー。それにしても処女作とは信じがたい。どんどん心の迷宮に引きずり込まれていく、何が現実で、何が嘘なのか、何を信じればいいのか、不安を掻き立てられ、ページを繰らずにはいられない。映画化もするようですね。このゾクゾク感とスピード感をどう出すのか、監督の腕の見せ所ですね。

ここのところ、立て続けに翻訳ものを読んでいて、あらためて思うに、われらがお師様の訳はやっぱりうまい。翻訳ものだということを忘れてしまう。(いま、先生の法廷物の訳書も読み始めています。わたしのようなへたっぴが言うのはかえって失礼なくらいなんですが)
先生の写真とコメントだけでゼミを選んでしまった不心得ものなのに、ずいぶんついていたものです。

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「椿山課長の7日間 浅田次郎著」読了、&ふと感じた翻訳への畏れ

ああ、また罠にハマったー。泣かせるんだろーなーと予測はしていましたが、作者の思惑通り、滂沱の涙 ラストのほうは文字もろくに読めない有様。あっさりとハメられちょっとくやしい気も。浪花節的なところが、文学通には敬遠されてしまうのかもしれませんが、エンターテイナーとしてはやっぱり一流だと思います。

キャラクターはある意味類型的です。主人公たちの性格もかなりわかりやすい。仕事の鬼で家庭は妻にまかせっきりの熱血デパートマン、任侠と渡世の世界に生きる、古きよきヤクザ等など・・・ひとことで、ある程度書き表せてしまうくらいわかりやすい。でも、すごいのは、その類型に向かってとことん磨き上げていくところ。せりふ、行動、嗜好など、ディティールをすべて、同じベクトルにあわせて積み上げることで、キャラクターを明確に浮かびあがらせている。

どのエピソードも無駄には書かれていない。椿山課長が新婚旅行のワンシーンを思い出す場面では、さらりと、ふたりが寄り添っていたハワイのビーチが人工のものであることに触れられている。その先の結婚生活が、偽りのものであることを暗示するひとことだ。読み飛ばしてしまいそうな一文にも、意味がこめられている。しっかり計算されている。怖い作家だー。思わず、下訳を終えたばかりの某作家の文章を思い出してしまった(雰囲気はだいぶ違うけど)。この本を訳す翻訳家は苦労するんだろうな。同情してしまう。コミカルで思わずにやりとしてしまう文章も、きっと再現が大変だろう。誰だかわからないけど、君の苦労は良くわかるぞー。

それにしても、こうして母国語で良い本を立て続けに読んでいると、外国人がそれを読んで、ネイティブと同じように深く味わい、魅力を損なわずに再現するなんて、(ほんとに一握りの才能あふれる翻訳家でないと)無理なんじゃないかという気分になってくる。なんだか、無謀なチャレンジをしているような、風車に立ち向かうドンキホーテの気分。

もしわたしが翻訳家で、ものすごーくいい本を訳すチャンスに恵まれて、でもその魅力を損なわないだけの力量がない場合、どうすればいいんだろう、と愚にもつかないことを考えてしまった。でも、これはかなりのジレンマだろうなー。惚れ込んでしまうほどのいい本、出来れば自分が訳したい、でも力量不足で、自分が訳せば大好きな本の魅力を損なってしまうのは目に見えている・・・・。もしかしたら、血の涙を流しつつ、他のもっと実力のある方にお願いしてしまうかも・・・。その方がその本のためには幸せだものなあ。(ありもしないことで悩むとは我ながらひま人・・・

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コンビニ・ララバイ 池永陽著 

いい本を読むと、なぜか、座っていられないような気分になって、部屋中を落ち着きなくぐるぐるまわってしまったりするのですが、この本もそんな本でした。昨日の夜は枕元にティッシュの山が出来てしまった。(涙腺がゆるいもので)

以前読んだ「走るジイサン」は、息子の嫁に恋心を抱くジイサンの頭上に、ある日突然猿が現れるという奇妙奇天烈な設定。なのになぜかリアルで引き込まれるのは、人物にしっかりとした影があるから。正義感があって真っ直ぐで・・・なんていう、二次元の薄っぺらいヒーローはこの人の作品には登場しない。

この「コンビニ・ララバイ」の登場人物たちの足元にも濃い影がちゃんとある。舞台は町の小さなコンビニ、ミユキマート。オーナーは交通事故で妻と子供を亡くした幹夫。幹夫の持つ、やさしい暗さがコンビニを訪れる人たちの心のひだを撫ぜる。

皆それぞれの人生の中でもがいている。万引きを繰り返す女子高生は、彼氏の命令で中年男と援助交際をしながらも彼を嫌いになれない。水商売の克子は、真剣に結婚を申し込んできた客の石橋に心を動かされながらも、どうしようもないヒモ男の栄三と離れることが出来ない。劇団員の香は役めあてで妻子もちの演出家小西と寝るが、それでも役をもらえず、恨みながらも小西への尊敬の念を捨てきれない。

こんな場合、この彼氏やヒモ男や演出家を、悪役で描いてしまえばすっきりするのだろうが(でもチープになるのは間違いない)、この作家はそうはしない。悪役であるはずの彼らを、人間的で、ある種魅力的でさえある人物として描く。この人の描く愛は、ピンク色のお菓子のような愛ではなく、こすってもこすっても落ちないどす黒いシミがついたような愛だ。

解説で北上次郎さんが、この作品を評して「重松清と浅田次郎を足したような小説」と書いているが、私はさらに石田衣良も足して、そこから重松清と石田衣良の青臭さ(←これが好きなところでもあるんですが)をぬいたような作品という感じがする。少し引いて、現実の醜さを見据えながらも、それでいてとてもやさしい目線だ。人間ってあほだね、しょうもないね、でも、なんかいいよね。そういってる感じがする。

挿話や小道具の使い方が効いている。たとえば、水商売の克子が、ヒモ男栄三のゴワゴワした硬い髪が立てる音を聞くたびに思い出す、生まれ故郷の「わら布団」。ひなたの匂いとわらの音。貧しさと暖かさ。幼い日の思い出。帰りたくても帰れない故郷。わら布団を出したことで、ぶわっと世界が広がっていく。どうしようもない男なのに、なぜか別れられない気持ちがリアルに伝わってくる。うまい作家だなあと思う。

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「グロテスク 桐野夏生著」読了 あと、ちょっとうれしかったこと

通勤電車で桐野夏生の「グロテスク」(上)(下)を読了、日本語への渇きがちょっとおさまりました。圧倒的なパワー。以前、本屋さんで立ち読みしたときに、引きずり込まれてそのまま30分読み続けてしまった本で、ずっと気になっていたのですが、「OUT」を読んだときに、リアルすぎて気分が悪くなり(夫の死体をバラバラにする描写や、覆いかぶさってくるような閉塞感がたまらなかった)上巻のみでギブアップしてたため、なんとなく手が出なかった。しかし、自分の世界に否応なしに引きずり込む、このパワーはすごい。読み終わった後も、頭の中で大きな渦が巻いているようで、なかなか現実に戻れず、ぼーっとしてしまいました。東電OL事件をモデルにしたと言われている小説ですが、そんなこともどっかに飛んでしまうくらい。子供のころから「頑張れば認められる」という神話にすがりついてひたすら努力してきたエリートOLが、社会に出てどんどん壊れていく様子は、並みのホラーよりもずっと怖いです。でも、怖いだけじゃないんです。タイトルどおり、グロテスクな世界のはずなのに、一本通ったような美も感じるのはなぜなんだろう。薄っぺらな感想を書くと、作品を汚してしまいそうなので、とりあえずはこのくらいで。

久しぶりに読書の楽しみに浸っていましたが、少し前にちょっとうれしいメールをもらいました。だいぶ前に、翻訳のクラスの飲み会でお勧めした本を、クラスメイトのおひとりが最近読まれたらしく、衝撃をうけたとメールをくれたんです。普段、メールのやり取りなどをしているわけではなく、突然、本の感想だけ書かれたメールがきたので、少し驚きましたが、そのぶん、本当に感動してくれたんだなーとおもうと、なんだか、鼻が高いというか(自分で書いたわけじゃないんですが)、うれしかったです。自分の薦めた本が、誰かのこころを動かしたのかと思うと。本好き冥利に尽きますねー。翻訳の醍醐味もそんなとこにあるのかもしれません。

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憑神 浅田次郎著

ふと思えば、そもそもこのブログのタイトルは「本の海 航海記」でした。なのに、9月辺りから翻訳の話ばかりで一冊も本の紹介をしていません。いろいろと読んではいたのですが・・・・・・。このままでは「ほんやくの海 後悔記」になってしまう!(あ、結構いいかも。サブタイトルにしよっかな)

というわけで、この辺りで一冊。ロンググッドバイから数えて4冊目のお風呂読書本、浅田次郎さんの「憑神」です。今年読んだ和書のなかではベストといっていいほど面白い本でした。おかげでお風呂が長くなり、毎日ゆでだこ状態でした。

 主人公の別所彦四郎は、裕福な婿入り先からいびり出されて出戻った、貧しい武家の次男坊。ろくな稼ぎもなく、気の強い兄嫁に遠慮しながら、肩身の狭い暮らしをしている。そもそもいびり出されたのも、家柄が悪いからというだけで、自分にはなんの落ち度もない、文武両道で、誰からも出世頭と目されていた自分がどうしてこんな目に・・・。あまりの運の悪さに、霊験あらたかと噂の高い「三囲(みめぐり)稲荷」に出世の願をかけるが、これがとんだ「みめぐり」違い。彦四郎が手を合わせたのは、出世どころか、貧乏神、疫病神、死神の三邪神が、順繰りに、拝んだ者にとり憑くという、「三巡(みめぐり)稲荷」だった・・・・・・。

とにかくテンポがいい。会話がいい。まるでうまい落語を聴いているような気分になってきます。時代小説で、見慣れない言葉も多いはずなのですが、読みづらさを微塵も感じさせません。これなら、時代小説が初めてという方でもとっつきやすいと思います。それでいて、ふんわり軽いおかしのような「しゃばけ」シリーズ(好きですが)と違い、中身もぎゅっとつまって滋養もたっぷり、もちろんお味も最高です。

今風の言葉で言うなら、登場人物たちの「キャラがたって」います。一癖もふた癖もあるキャラクター達が次々登場。しゃれた着物を着こなした大店のあるじ風の貧乏神、雲をつくような巨漢の力士の姿をした疫病神、愛くるしい少女姿の死神。出てくるキャラクターは皆どこかあったかみがあり、この三邪神ですら、彦四郎の人柄にほだされて、つい矛先を緩めてしまうような人(神?)の良さを持ちあわせています。

中身の濃さも魅力。ラストサムライよりずっとラストサムライでした。何億も制作費かけて、トム・クルーズまで使って映画を撮らなくても、浅田さんがひとりで書いちゃってるじゃないの。最後のサムライの矜持を。おそるべし浅田ワールド。鋭くて苦い真実も、こんなふうに舌触りがよくて美味しい皮に包まれたら、いくつでもいけてしまいます。やっぱり、苦いものを苦いまま出すんじゃ能がないし、粋じゃない。その点、腕の確かなすばらしい作家さんだと思いました。(そういえば「復讐はお好き」のカール・ハイアセンもそうですね。)「ぽっぽや」のイメージが強く、今までなんとなく手が伸びなかったのですが(いかにも泣かせますぜ!って感じのものはつい敬遠しちゃいます。結局泣かされるんですけどね)、もっと早く読んでおけばよかった。でもこれからの楽しみが増えました。次は「椿山課長の7日間」を読んでみよ。

ちなみに、9月から読んだ本は 「ロンググッドバイ」(村上春樹)、 「狂骨の夢」(京極夏彦) 「海辺のカフカ(上)(下)」(村上春樹)、 「照柿(上)」(高村薫)、「メソポタミアの殺人」(アガサクリスティー) 「ちんぷんかん」(畠中恵)、そしてこの「憑神」です。 あとは今読みかけの本が3冊くらい。年末年始の移動中に片付けちゃおうと思ってます。 

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「博士の愛した数式」 小川洋子著

寺尾聡主演で映画化もされた、いわずと知れた名作。文庫化を待っていたら、読むのがちょっと遅れてしまいました。

家政婦の「私」が新しく派遣された先は、記憶障害を持つ数学者「博士」の家だった。博士の記憶は80分しか持たない。時間が経過すると、一からやり直し、初対面の挨拶から繰り返されることになる。博士は、失われた記憶能力を補うため、無数のメモをシャツにとめている。そんな博士をいたわり気遣う「私」と「、私」の息子「ルート」。そのいたわりは決して憐憫ではない。博士に対する強い尊敬と愛から、自然と生まれている。博士は、人知を超えた美しい数の世界に生きている。神のわざともいえる、その整然とした法則の前で、博士は謙虚に頭を垂れる。その姿はとても美しい。蓑虫の蓑のような、無数のメモの下には、輝ける崇高な魂が隠されている。

三人が紡ぎだす、美しく、悲しく、幸せな空間。悲しみと幸せがこんなにも美しく同居できるとは知りませんでした。この小説の世界にずっと浸っていたい、そう思わせてくれる作品です。小川洋子さんは薫り高い世界を書くことのできる、数少ない現代作家だと思います。作品の気高さは、明治の文豪にもひけをとりません。もし、私に日英翻訳が出来たら、こんな小説を、世界中の人たちに知らせたいなー。

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質問力 斎藤孝著

色々聞きたいことがあるのに、いざとなると質問が出て来ない、そんなことが多くて(授業でもそうなんです。人が質問しているのを聞いて、「そうそう、それが聞きたかったの」なんてことが多い)気になっていました。そんなときにこの本が目に入ってつい購入。思っていた内容とはちょっと違いましたが、実際のインタビュー集をもとに、斎藤氏がインタビュアーの質問力を分析していくという、ちょっとほかにはないタイプの本で、興味深かったです。思わずメモを取りながら読んでしまいました。インタビュアーたちの質問力もすごいけど、一見何気なく見える会話から、これだけのことを読み取る斎藤氏もすごい。

以下は私の取ったメモの一部です。

第三章
沿う技
1うなずく
 おうむ返し
 繰り返し 相手の言葉を組み込んで話す 共感 同調
 相手との共通点を意識しながら対話

2言い換える→消化していることを相手に示す
 引っ張ってくる→A相手の話の中から(20から30分前)キーワードを見つけて今の文脈に持ち出す。
B外部からのテキスト

[あまり知らない人との対話]
・繰り返し 相手の言葉を組み込んで話す 共感同調
・相手との共通点を意識しながら対話→沿う質問で好きなものを探る
[知ってる人との対話]
・相手の苦労したところ(力をいれているところ)をしっかり認める
・その人の経験を引きずり出す 主観的な経験を一般論とつないで質問(すばらしい審美眼ですがそれは映画でも大事ですね)
・相手の話にポイントをたくさんみつける
・別のこれと似てますか?っていう質問(こう理解したというメッセージ)

(高度な技)
・相手の言葉を比喩的に言い換えて自分と相手の話を絡める。
・強引に距離を縮める。つっこみ
・相手が変化したポイントの話を聞く
・昔言っていたあの話はどうなった?(昔のたった一言も忘れてませんよというアピール)
 

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緋色の記憶 トマス・H・クック著

翻訳家は鴻巣友季子さんです。先生が「このひとはうまい」と仰っていたので取り寄せて読んでみました。格が違う!読み始めてすっかりおちこんでしまいました。文章に気品が漂っています。しかも、これを訳したときは、いまの私とそう変わらない年齢だったと知って、なおさら立ち直れない気分に。

しかし、読み進めるうちにそんな気分もどこへやら、物語に没頭してしまいました。訳がうまいと、訳者がすっと消えて物語の世界が立ち昇る感じがします。また作品自体がとてもよかった。純文学の香りが濃い、上質のミステリーです。

老弁護士ヘンリーが少年時代を回想する形でストーリーは進んでいく。ヘンリーの通うチャタム校に新任教師が赴任してきたことがすべての始まりだった。閉鎖的な村にやってきた美しく、自由奔放な女教師ミス・チャニングは、その魅力で、堅物の校長(ヘンリーの父)をはじめ、周囲の心をとらえていく。常識に縛られないその言動は、閉鎖的な環境に鬱屈した不満を抱いていたヘンリーにとっても、希望の光となっていく。だが、そんなミス・チャニングの恋が、後に、何十年と語り継がれることとなる悲劇、「チャタム校事件」を引き起こすのである。恋の相手は妻子持ちの同僚リード。ヘンリーは、現実という頚木につながれながらも、自分を貫いて愛を育むふたりを、わが身に重ね合わせてひそかに応援する。

遠い記憶の中に押し込められていた過去の悲劇の真相が、じわじわと解き明かされていきます。「真綿で首を絞められていくような」というとちょっと例えが変かもしれませんが、読んでいるこちらまで追い詰められていくような、なんともいえない不安な気分に陥っていきます。スリリングでした。話の展開は決してスピーディーではないのに、先が気になってページを繰らずにはいられませんでした。登場人物にも厚みがあり、少年のナイフのような感性で刻み込むように描かれた文章が美しかった。好きな作家がまたひとり増えました。そして好きな翻訳家も。原文の美しさを余すところなく再現した訳にただただ圧倒されました。原書とセットで買ったので、この夏は、この本の対訳勉強もしてみようかなと思っています(もちろん、下訳の復習もやったうえで)。

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